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もう2年経ちました [産婦人科医]

気がついたら、
もう3ヶ月も更新していませんでした。
いろいろ考えることがあって、
なかなかこのブログに、
常々感じている、自分の気持ちや考えをまとめる時間がありませんでした。

そういいながらも、ボクが今の病院に移って、
丸2年が経ちました。

前の病院では、あの場所とあの立場で、自分ができることをやり尽くした気持ちと、
しんどくて、自分が自分らしくあり続けることが難しくなった気持ちもあって、
多くの皆さんに迷惑をかけながらも、飛び出してしまいました。

2年経った今、ボクはどうでしょう?
ちゃんと、自分が自分らしく、やるべきことを十分にできているのでしょうか?
そもそも、ボクの「やるべきこと」ってなんだったでしょう?

スタッフや、病院の規模の大きさにも助けられ、
なんとかそれらしく、日々の業務をこなしています。
でも、なぜか、しっくりこないのです。

もちろん、関わった患者さんや産婦さんには
今まで通り、正面から向かい合い、そして、寄り添っています。
その姿には、なんにも変化はありません

「どっぷり感」というのでしょうか。
前みたいに、深みを感じないのです。

自分が歳をとって、深みに入ると足をすくわれるから、
自然と浅瀬を選んで歩くようになったのでしょうか?
次々とたくさんの患者さんや産婦さんがいて、
単に、ひとりひとりの接する濃さが薄まっているのだけなのでしょうか?
それとも、多くのスタッフに恵まれているおかげで、大きな波が打ち寄せても、
それほど強い力を感じないだけなのでしょうか?

でも、落ち着いて、周りを見ても、
きっと、ボクの立ち位置、向きはブレていないはずです。
たしかに、
力の入り方、というか、抜き方、というか、
その辺は、もう少し加減が必要かもしれません。

もう2年ですが、
きっと、
まだ2年、なんだと思います。
(前いた病院では、10年ちょっと頑張ったんです。)

毎日、毎日、忙しくこなしている仕事に深みが備わってくるには、
まだまだ時間がかかりそうです。

修行はこれからも、まだまだ続きます。

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一生ついていこうと思った [産婦人科医]

ある日の夕方、まだまだ仕事が終わらず、病棟でばたばたと仕事をしているときでした。
ボクの携帯電話が突然なりました。
電話番号は、前の病院の産婦人科病棟です。

 「なになに?」

電話に出てみると、前の病院の産婦人科病棟の師長さんからでした。
「先生、お久しぶりです。お元気ですか~?」
変わらず、やさしそうな声です。
 「元気ですよ、いつだって。わはは。」
「じつは、今度、小児科のS先生が退職されるんですが、」
 「うん、聞いてます。」
その先生からの年賀状に書いてあったので知っていました。
前の病院でずっと一緒に働いていた、大先輩の先生です。
「来週、送別会があるんですが、先生に声をかけてほしい、と言われたんです。」
 「えーっ。残念、こっちの病院の送別会と重なってるわ。」

その日は、うちの病院の産婦人科の先生の送別会でした。
 「二次会とかないんですか?」
「今のところ、その予定はないんですよ。」
 「そうですか、残念ですけど、先生に宜しく伝えてください。」

その小児科のS先生との出会いは、ボクが前の病院に赴任した12年前です。
ドクターになって10年が過ぎたころです。
その先生は、小児科部長で、数年前にやってきて、その病院でNICUを一から立ち上げた先生です。
その先生が京都に来てから、京都府の新生児死亡率が、
全国ワースト1から一気に中程まで上がった、と聞いたことがあります。
新生児医療一筋の先生で、若い頃は、ずっと病院に泊まり込み、
一年間に2,3回しか家に帰らなかったので、住まいは友達とシェアしていたそうです。

ボクが赴任したころも、週に何日かは病院に泊まっていたようです。
詰所の横の休憩室では、ソファーに座って、半分目を閉じて、「瞑想」しているかと思うと、
突然、ものすごい「いびき」が響き渡り、みんながびっくりして飛び上がることもありました。
でも、その先生が、夜通しNICUの赤ちゃんを診ていることを知っているので、
みんな笑っています。

「風邪、引かないでくださいよ。」

突然、自分のいびきで目が覚めた先生は、ばつが悪そうに、
看護師さんたちが休憩時間に食べるためにおいているお菓子をむしゃむしゃと食べ始めます。

 「先生、風邪とか引かないんですか?」
「うん、ぼくは全部の風邪引いているから。」
たまに、数年に1回、のどが痛くなることがあるくらいだそうです。
 「先生の血には、いろんなウィルス抗体ありそうですね。」
先生は、返事をせずに、むしゃむしゃとお菓子を食べ続けています。

「あの、、あの、、あの妊婦さんは大丈夫ですか?」

突然、切迫早産で生まれそうになっている妊婦さんの状態を尋ねてきます。
 「どの妊婦さんですか?」
何人も入院しているので、わかりません。
でも、その先生が、どの妊婦さんのことを心配して尋ねているか、
ボクにはわかっています。
それでも、わざと、聞き返してみます。

「おとといの、ひとです。」
 「ええ、落ち着いています。明日で26週です。」
「もう、大丈夫ですね。いつでもどうぞ。」

そんな、憎めないキャラの先生です。

ボクが、その病院に赴任してまもなくの頃です。

一人の妊婦さんが緊急入院になりました。
妊娠18週で、完全破水です。
まだ、胎児の心拍はありますが、すでに子宮口が開大して、
病院に来たときには、子宮口まで胎児が出かかっていました。
もうどうしようもありません。

妊娠22週未満では、早産ではなくて流産です。
産まれても、100%助かりません。

びっくりして、どうしたらいいのか戸惑う、その妊婦さんに、
今回の妊娠は、抗生剤や子宮収縮抑制剤でも、
この妊娠を22週まで維持することはできない、
従って、赤ちゃんが生まれても、
蘇生することもできないと説明しました。

重苦しい雰囲気が漂いました。

そして、少しずつ強くなる陣痛を静かに待ちます。

じっと詰所で、待機していると、
S先生がやってきました。

「産まれそうですか?」
 「はい・・。残念ですけど。18週は厳しいですよね。」
「そうですね。 でも、産まれるとき、声かけてください。」
 「えっ? 18週ですけど。」
「私が立ち会います。」
 「・・・わかりました。」

ボクは一瞬、どうしたものかと思いました。
妊娠22週なら、どんなに厳しくても、蘇生は必要だと思いますが、
18週では、蘇生のしようがありません。
小児科の先生が関わることが、
そのときのボクには、理解できませんでした。
先生は、ボクに多くを語ろうともしませんでした。

そして、しばらくして、お産になりました。
先生は、妊婦さんの横に寄り添って、お産に立ち会ってくれています。

在胎18週の赤ちゃんは小さいけれど、
形は立派な赤ちゃんです。
するりと産まれてきたので、静かに体を動かしています。

ボクは、おへそを切り、乾いたタオルで赤ちゃんを包みました。

そして、横にいた先生が、
まるで、宝物をもらったかのような優しい笑顔で、
赤ちゃんをやさしく抱きあげました。
おもむろに、聴診器を赤ちゃんの胸に当て、心臓の鼓動を確認しました。

「赤ちゃんは、まだ生きていますよ。抱っこしてみますか?」

お母さんに優しく、尋ねます。
「はい。」
泣きながら、お母さんは、産まれたばかりの小さな赤ちゃんを抱きしめます。

胎盤がでて、ボクが診察を終えたあとも、お母さんは抱っこし続けます。
そして、お母さんが少し疲れた様子を見せると、
今度は、先生自身が交代して、赤ちゃんを優しく抱き続けました。

時折、先生は、すっと手を伸ばし、
聴診器で心臓の鼓動を確認します。

赤ちゃんが生まれて、3時間ほど過ぎた頃、
先生の腕の中で、
ついに赤ちゃんの心臓が止まりました。

S先生は、お母さんに、赤ちゃんが亡くなったことを伝え、
残念ですと一言添えて、
赤ちゃんをそっとお母さんに渡し、分娩室を後にしました。

このとき、この瞬間、
ボクに衝撃が走りました。

助かる命を助けるのは当然でしょう。
助からない命を、苦痛なく過ごせるようにするのも、立派な医療です。

しかし、この先生は、
こんなに小さな命を、
神様からもらった宝物のように大切に、愛おしく、胸に抱き、
静かに、産まれたばかりの命を、一人の人間として迎え入れ、
静かに、また天国へ見送るのでした。

 「これこそが、小児科医の姿。」

その一言だけでした。

そして、ボクは、本当に、自分が恥ずかしくなりました。

何よりも、命の尊さを想いながら、
今までの自分は、
本当の命の意味を、
全くといって良いほど、理解していませんでした。

自分が、もう少しマシな医者だと思い込んでいましたが、
そうでないことに気づきました。

先生は、きっと、
自分のいる病院に赴任してきたばかりの産婦人科医に対して、
命の大切さを教えてくれたのだと思います。
そして、
人間の力ではどうしようもないところにでも、
医療者は関わることができると教えてくれました。

ボクが、先生を心から尊敬し、
一生、ついて行こうと思った瞬間でした。

自分が小児科医になりたかったのに、
産婦人科医になったのも、
この先生に出会うためだったとさえ思いました。

結局、その電話をいただいた次の日に、
前にいた病院を訪ね、
病棟で先生に会うことができました。

 「先生がいる間は、この病院を辞めないつもりでしたが、先に逃げ出しちゃって申し訳ありませんでした。」
「いえいえ。」

先生は、にこにこされていました。

定年を少し過ぎて、やっとリタイヤかと思うと、
また、ご自宅の近くの大病院で、新生児科医として続けられると聞きました。

「ただの人数あわせですよ。」

もしかしたら、またいつか、先生の立ち会いのもとで、
新しい命を取り上げることができるかも知れません。

そして、そのとき、
ボクは、もう少し、まともな医者になっているでしょうか?

その日のためにも、
ボクの産婦人科医としての修行は、
まだまだ続きそうです。


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折り入っての相談 [産婦人科医]

半年ほど前のことでした。

詰所でカルテ(電子カルテなのでパソコンです)に向かっていると、
若い先生が小さな声で話しかけてきました。

今年、ドクターになって5年目、産婦人科を専攻して3年目です。

「先生、折り入って、ご相談があるんですけど・・・。」

いつも礼儀正しい先生ですが、
今日はいつになく、丁寧な口調です。

 「どうしたん?」

「大きい病院から、小さい病院へ移ってみるって、ありですか?」

 「えっ?それって、先生の将来のこと?」

いきなりの質問に、彼がどうすべきかよりも、どう答えるのが正解なのか、つまり、どう答えてほしいと思っているのかを考えてしまいました。

「はい。 それとも、先生から僕をみて、『いやいや、まだこの病院で経験を重ねた方がいい。』とかありませんかね。」

 「なるほど・・・。 どうかなぁ。 いろいろあるもんな。」

実をいうと、ボクはそのとき、最終的になんて答えたのでしょう。
せっかくの「折り入っての相談」なのに、よくわからないと答えてしまいました。
だって、突然聞かれても、何が正解かわかりません。

今になって考えると、
2年間の初期研修のあと、1年間は大学病院で、
そしてこの2年間はうちの病院で研修しているので、
そろそろ異動の話がでてくる時期でもあったのです。

彼は次の病院のことを考えていて、
それも、今より小規模の、スタッフの数も少ない病院をイメージした中で、
自分が十分にやっていけるか?
自分のためにも、患者さんのためにも、
それが「あり」かどうかを聞いていたのでしょう。

もちろん、今の病院と同等に大きい病院はあっても、
より大きな病院はありません。

つまり、
「①もう少しこの病院で腕を磨くか、②もっと小規模病院に移って、ばりばりやっていくか?」
という選択肢なのでした。

ボクが研修医だった時代は、赴任先の病院は大学の教室(つまり、教授)が決めることでしたから、
自分で行く病院を決めることも、
大学の医局長の先生から言われた赴任先の病院を断ることも、
原則、「なし」でした。

自分が忙しい病院に回されると言うことは、自分をそれなりに高く評価してくれていると,
ポジティブに考えたものです。
逆に、大きな病院ばかり赴任しているドクターは、
それほど期待されていないのかも知れないとさえ考えていました。
つまり、
次の赴任先の病院を提示された時点で、
今の自分の、ある程度の評価になっていると言えます。

医師としての、そこそこの経験を積んだころ、
小さめの病院でバリバリと頑張ってみるのは悪くないと思います。
そして、たとえば、ドクターの数が3,4人だとしたら、
一人、ドクターが入れ替わるだけで、
その病院はガラッと変わるのです。
その病院の雰囲気が、たとえよくなかったとしても、
その病院を中身から変えることができるのは自分です。

それに、小規模な病院では、診療以外のことも見えてきます。
マンパワーの限界や治療に用いる器械の大切さなど、
いままで「あって当然」であったものが、今度は「なくて当たり前」になるのです。

もちろん、より安全で、質の高い医療を提供するのは当然です。
大病院では、もっとも重症な状態に対する対応を前提に準備されていますが、
それ以外の病院では必ずしもそうではありません。
そういう部分をカバーするのが、
ドクターとしての技量になるのではないでしょうか?

ある意味、かれの「折り入っっての相談」は、
その技量が自分にあるのか?という質問だったのです。

ボクは、大丈夫だと思います。

自分が思っている以上に、
周りは自分を正確に評価しています。
次の赴任先を提示する前に、
すでに、その病院で十分やっていけるはずと評価されているはずです。

たしかに、経験をお金で買うことはできないし、
経験は日々重ねていくしかありません。
ただ、医療にとって、それ以上に必要なものは、
コミュニケーションの力です。
相談したり、説明したり、聞いたり、見たり、
そういう能力は十分あれば、
患者さんを癒やすこともできるし、
自分自身もドクターとして成長できると思います。

そして、
もう一度、言いたい。

次の職場を、
良くも、悪くも、変えるのは君自身です。

大病院にはない、
患者さんとの距離感を十分に味わってみてください。
君なら、「悪くない」と思えるでしょう。

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穏やかな当直 [産婦人科医]

すこしばかり過ぎてしまいましたが、
新年明けましておめでとうございます。

このブログのプロバイダーであるso-netでは、
定期的にセキュリティIDやパスワードを変更する必要があるそうで
変更を勧めるメールを無視していたらロックがかかってしまいました。
それで、年末年始の更新ができませんでした。

かといって、どうしても皆さんに伝えなくてはならない大事件もなく、
淡々と忙しい毎日を送っておりました。

クリスマスには、今年もボクにはサンタさんは来ませんでしたが、
お正月にはしっかりとお休みを頂き、実家でニコニコと過ごすことができました。
ありがとうございました。

先日の当直のときのことです。

かつて、うちのある先生が、当直明けの朝に、
「昨日の当直は『完封勝利』でした!」
とうれしそうに言ってました。
大きな急変や、出産もなく、ヒマな当直であったことをいっているのです。
 「うまいこというなぁ。」
お産や救急搬送が多いうちの病院では、
いわゆる、「なんにもなかった」当直は珍しいのです。
お産や緊急帝王切開はもちろんのこと、
婦人科癌で入院中の患者さんの急変もしばしばです。

とくに、この年末あたりから、ボクが当直の時は大賑わいで、
麻酔科の若い女性のドクターが病院の当直医のミーティングでボクの姿を見ると、
「先生、今日、当直ですか? 覚悟しておきますっ!」
というくらいでした。

ところが、ついにやってしまいました。

その日は日曜日で、当直勤務は24時間でした。
朝に、不正出血の患者さんの外来受診が1名きて診察、
夕食後に子宮外妊娠の患者さんが腹痛を訴えたので診察をして、
大丈夫ですよ、って説明しました。
あとは、全く、なぁんにもありませんでした。

言ってみれば、
ノーヒット・ノーランってとこでしょうか。
(ちなみに、ヒットはあるけど9回で0点に抑えると「完封勝利」、フォアボールくらいあってもヒットがなければ「ノーヒット・ノーラン」。それもなければ、「完全試合」となります。)

 「こんな穏やかな当直で申し訳ない。ノーヒット・ノーラン。」

ニコニコして、次の朝、出勤してくる先生たちに詰所で順番に自慢をしてしまいました。

「いえいえ、先生、その昨日の当直の前日にきっちり呼び出されてたじゃないですか?」
と、ツッコミをいれてもらいました。
 「そうやった。忘れてた。」

また、別の先生からは、
「こないだの僕の当直の時は、緊急カイザー(帝王切開)に、救急搬送に、普通のお産に、ボコボコでしたよ。」
 「そうやったなぁ。 ごめんなぁ。わはは。」

自分の当直が、たった1回でも穏やかに過ごせたら、
ついうれしくなり、テンションも上がったのですが、
べつに病院のトータルの仕事量が減るわけでもないし、
少し大人げなかったかな、と反省しました。

大切なのは、スタッフそれぞれが疲れ切ってしまわないように、
最高のパフォーマンスで、うまくチームワークでこなしていくことでしょう。

ただ、他のみんなが休んでいる日曜日の当直で、大きな急変がなく、
待機している当直医も呼び出さずにすんだことはよかったと思います。

少し眠れた分、次の日の勤務も、余分に頑張ることができるのです。
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婦人科腫瘍の勉強をしてきました [産婦人科医]

先週、岡山県で開催された、
日本婦人科腫瘍学会に参加し、勉強してきました。

医者になって後半の10年間は、周産期を中心に頑張ってきたので、
婦人科腫瘍の診療については、
もっともっと勉強しないといけません。

こういうことを書いてしまうと、
実際に、ボクが毎日の診療で担当している患者さんたちがたくさんいますので、
「あの先生で大丈夫なの?」
なんて思われてしまいますから、発言は慎重にしないといけませんが。

講演やシンポジウムを聞いていると
最新の知見や手法、先進的な医療について勉強になります。

その中で、おもしろいテーマのワークショップがありました。

「婦人科悪性腫瘍と妊孕能(にんようのう)温存」

子宮頸がんや卵巣がんで手術や抗がん剤を使用するのに、
いかに妊娠できる能力(妊孕能)を保つか?
ということについての講演がありました。

子宮頸がんについて、ある程度進行したものに対しては、
初期のものに行われる円錐切除ではなくて、腹式子宮頸部切除術という術式があります。
子宮頸がんができる子宮の下半分を切除して、妊娠する上半分を残す術式です。
簡単に書きましたが、高度な技術や経験を必要とする手術です。
切除する子宮頸部には、外界から妊娠中の胎児を守るバリアーの役目があり、
その部分を切除するのですから妊娠した場合には当然、妊娠した場合に、感染や切迫早産など、
いくつものトラブルが発生する可能性があります。

腫瘍専門の先生と周産期専門の先生がそれぞれの立場で発表されていました。
腫瘍専門の先生からは、切迫早産を予防する工夫などが示されました。

 「なるほど、なるほど。」

周産期の先生(実は、もともと不妊症が専門だとおっしゃっていましたが)からは、
妊娠に至るまでの問題点や、実際に問題になったトラブルなどが示されました。
切迫早産や前期破水を来たし、残念ながら最終的に早産になった症例も示されました。

 「やっぱりな。 そうなるやろな。」

そのデータの陰には、産科医の苦労があるのでしょう。
ひとつひとつのデータに納得しながら、
少し気になったことがありました。
周産期のアウトカムが、出産時妊娠週数や児出生体重といった、
分娩時の状況が中心のデータで語られていたことです。

しかし、ボクが本当に知りたかったのは、
その赤ちゃんが元気で育っているかです。

同じ早産でも、その生まれるときの状況では、予後が違ってくることもあります。

 「早産で生まれた赤ちゃんは、みんな元気なんですか?」

ディスカッションの時、どうしても、この質問がしたくて、
今にも手を挙げそうになっていると、
学会長をされている先生が手を挙げてこんな質問をされました。

「示されたデータのなかに、いくつか早産の症例があったようですが、
 早産に至った原因はわかりますでしょうか?
 たとえば、破水して感染したものが多かったとか・・・。」

早産が妊娠週数だけでなく、どういう原因であったかを聞くことで、
赤ちゃんたちがどういう状況であったかを推察する質問でした。
岡山のイントネーションでやんわりとした口調でしたが、
実に当を得た質問です。

 「なるほど、そういう訊き方をすればいいのね。」

質問の仕方にも、まだまだ勉強が必要だと感じました。
質問を受けた先生も、よく訊いてくれました、とばかりに、
適切に答えておられました。

 「ふむふむ・・・。」

腫瘍を専門にする産婦人科医と
周産期を専門にする産婦人科医がいて、
話し合い、
最終的には一人一人の赤ちゃんの将来を思う。

これこそが「婦人科腫瘍学」の姿だと感じました。

たくさんの刺激を受けて、京都に戻り、
次の日は家の近所を散歩しました。
近所と言っても、多くの人が訪れる場所です。
秋の景色を眺めながら、
多くの人とすれ違いました。

不妊治療ですぐに妊娠したものの、
まもなくボクが今の病院に移り、
残念ですといってくれた方が、ベビーカーを押してご主人と散歩していました。

 「おお、無事に生まれたんやね。」

また、
小学校高学年くらいの男の子が向こうから走ってきて、
「お母さん!」って言いながら
ボクの横を通り過ぎて行きました。
振り返ってみると、そのお母さんは、
10年ほど前にボクがお産を担当した方でした。

 「おお、元気に育ってるんやね。」

命はつながっている。

これからも、
もっともっと勉強して、

命、ひとつひとつ
そして、
その命と命のつながりを
真摯に見つめていきたい。

・・・頑張りましょう。

ボク一人でできることはそんなに多くない。
しかしながら、
みんなでやれば守ることができる命は
たくさんあるはずだと思いました。


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ボクはたいして頑張っていなかった。 [産婦人科医]

実は、数日前、朝、オートバイで通勤中、
自分の不注意から、
道路の中央分離帯に接触し、転倒し、右足を骨折しました。

単独の事故で、幸いにも、誰を傷つけることもなく、
オートバイも最小限の「擦り傷」程度のダメージでしたが、
自分の足は全治1ヶ月ほどの怪我となりました。

エアバッグジャケットも着用していましたし、革の手袋やブーツも履いていたので
幸いそれ以上の怪我はなかったのですが、
つま先を道路に打ち付けた衝撃は思いの外大きく、
ポッキリと折れてしまいました。
ほとんど無傷のバイクに再度またがって病院まで出勤し、
けんけんでロッカーまで歩き、白衣に着替えました。

痛かった足を見たら、倍くらいにふくれあがっています。

「先生、折れてるのと違いますか?」
詰所で助産師さんに言われました。

 「整形の先生には診てもらっといたほうがいいかな。 いてて・・。」

その日は外来診療でしたから、診察の合間に整形外科の先生に診てもらいました。
学生時代からよく知っている整形外科の先生は、わざわざ産婦人科外来まで診察に来てくれました。

「これ、折れてますね~。」
 「折れてますか、やっぱり。」
「写真撮って、確認しますね。」

産婦人科外来から、患者さんの心配そうな視線を浴びつつ、
レントゲン撮影に一回、ギプス固定に一回、
車いすに乗って診察室から運ばれていくのは恥ずかしかったです。

その日は痛み止めもしっかり効いてくれて、
何とか無事に外来を終えることができました。
もちろん、隣の診察室の先生に、初診の患者さんを何人か診てもらいましたが・・・。

上司の先生に報告しても、
皆さんにこんなに迷惑かけているのに、

「困ったときはお互い様ですよ。早くよくなってください。」
「手術しなくてよかったね。」

と、当直を変わってくれたり、手術の担当を外してくれたり、
申し訳ない気持ちでした。

その後、土日を含めて、外来のない日は休ませてもらい、
5日間自宅で静養することができました。

自分が執刀するはずだった帝王切開が2つあったのですが、
若い先生を主治医にして、婦人科医長が代わってくれました。
(患者さんにも直接謝ることもできました。)
昔、自分もバイクに乗っていて、やはり通勤中に転倒したことがある大先輩の先生は、
たまたま家が近いこともあって、家まで送ってくれました。

ドクターが10人以上もいると、
一人くらいが怪我しても、なんとかなるもんだなと変に感動する一方で、
今まで、「自分がいないと、自分がやらないと」って、
しゃかりきに頑張ってきたことが本当に正しかったのか、って不思議な気持ちになりました。

もちろん、ひとりひとりの患者さんに向かい合って、
自分が思う理想の医療に向かって、
少しずつ重ねてきたことは、
無駄でも何でもなかったはずです。
逆に、それを否定すると、
今の自分は存在すら危ういものと思います。

しかしながら、
自分が怪我をして気づかされたのは、
ほかのドクターと比べても、自分は特別頑張っているわけではない、
自分がやりたい、楽しい、と思うことだけをこだわっていただけだ、
そして、
そうやって自分が頑張っていると思い込んでいるのを、冷ややかに見ている人もいた、
ということです。

一緒に働くドクターや外来・病棟・手術室のスタッフは、
ボクの傷を心配してくれています。

「早くよくなって、焼き肉に連れてってくださいね。」
「無理だけはせんといてください。」

みんなの優しい言葉が、松葉杖以上の支えになっています。

そして、
怪我をしてみて、
周囲からかけてもらう言葉は少しずつ違い、
その少しずつの違いで、
その人が自分のことをどう思っているかも知ることができました。

言葉は、その人そのものです。

そんなたくさんの言葉から、

「君がいなくても、大丈夫なんだよ。」

と、直接誰かからいわれた訳ではなく、
自然と気づかされました。

自分がいなくても大丈夫、ということ自体が、
今まで自分の中にはほとんどなかっただけに、
このことに気づいたのは
重くて、少しきつかったです。

 「ボクはたいして頑張っていなかったな。」

足を怪我して、しみじみ思うのでした。

たくさんのご迷惑、、本当にごめんなさい。

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今年もまた南の島に来てしまいました。 [産婦人科医]

夏休みいただいて、
どこに行こうかと考えるとき、
海水浴か釣りしか思いつきませんでした。
結局、
家族の反対を押し切って、というと言い過ぎですが、
みんなの賛成をそれほど得られないまま、
また家族を道づれにまた南の島に来てしまいました。

昨日の深夜に到着して、
今日は2日目でした。

「プールの方がいいのに…。」
と嫌がる息子を連れて、
朝からシュノーケリングのツアーに参加してきました。
パン切れで熱帯魚ちゃんたちの人気を集めてみたりしました。
  「明日はヨロシクね〜。」

明日はいよいよ釣りです。
クチをパクパクあけて喜んでるサカナちゃんをみると、
じわじわテンションが上がってきています。

  「どうかいい天気でありますように。」

そうこういううちにすでに夏休みは半分過ぎていますが、
今年もお休みをいただきましてありがとうございました。

natsuyasumi2012.jpg
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証拠写真 [産婦人科医]

先日、初診外来をしていたら、
見覚えのある名前が電子カルテのリストに上がっていました。

 「この人、知ってるけど、だれやったかな?」

名前は知っているし、顔もなんとなく思い出せるのですが、
どの時期の、何の患者さんだったのか、どうも思い出せないのです。

そんなことを思いつつ、診察の順番が来たので、
診察室に入ってもらいました。

「先生、お久しぶりです。」
 「はいはい。」

入ってこられた瞬間に、名前と顔が一致していたことに安心しました。
でも、それ以上が思い出せません。

記憶が新しいのか、古いのかわからないのです。
問診票には、18年前に今の病院でお産をしていると書かれています。

前の病院はどうやら関係なさそうです。
(今でも、前の病院から、ボクを頼って診察に来られる患者さんが月に2,3人おられます)

「先生、覚えてはりますか?」
 「うん、顔と名前ははっきり覚えているんですけど、何を担当したのか思い出せないんですよね。」
「そういわれると思って、持ってきました。」

カバンから患者さんが出してきたのは、1枚の写真でした。
若いころのボクとその方、そして、ボクは赤ちゃんを抱っこしています。

思い出しました。
この方は、お産が終わった後にも、ボクと赤ちゃんと一緒に写った写真や手紙を何度か送ってくれていた方でした。
この方の写真はよく覚えていました。
この方は必ず写真に裏に自分の名前を書いてくれていたのも覚えていた理由かもしれません。
探し物をするのに、引出しをあけると、出てくる写真の中の1枚でした。
だから、ずっと前なのに、最近まで会っていたような不思議な記憶になったのだと思います。

「先生、若ぁ~。」
写真を覗き込んで看護師さんがいいます。
 「髪の毛、多かったやろ? わはは。」

照れ隠しで笑っていると、この方は話してくれました。

「先生、この写真、うちの子が大好きなんです。」
「自分を大切そうに抱っこしてくれてる、この人、誰?って小さいころから聞くんです。」
「あんたを取り上げてくれた産婦人科の先生や、って言い続けてたんです。」
「そしたら、自分も産婦人科の先生になるんやって、今、医学部目指して、浪人してるんです。」
「今日、先生の顔見れて、子供に自慢します。」

この人が今日、何のための受診だったか忘れそうでしたが、
ずっと頑張ってきてよかったかな、と思いました。

ボクが、昔、髪の毛が多かったということ以外にも、
赤ちゃんが大好きで、赤ちゃんからいつもチカラをもらっていたということの証拠写真でもありました。

自分が取り上げた子の、お産を担当する日がそろそろ来てもおかしくないと思っていたのですが、
もしかすると、自分が取り上げた子がドクターになって、
産婦人科医として一緒に働ける日がそう遠くないのかもしれないと考えると、
もう少し、あと少し、もっと、ずっと、頑張ろうと思いました。


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高くついた授業 [産婦人科医]

今年も、あっという間に半分が過ぎました。
6月は学会もあり、なにかと忙しかったです。
そんな中で、わりと時間的に負担になったのが、
助産師学校の授業です。

前にいた病院でも毎年15回ほど、看護学校の授業をしていたのですが、
今年は、大学の保健学科も含めて、2つの助産師学校の授業を頼まれました。

ボクが担当する講義の内容は、
分娩時合併症や産科手術、といったもので、
どちらかというと、
「お産の怖い部分」が主なテーマとなります。

限られた講義時間の中で、
ひとつひとつの疾患の一般論、その症状、必要な対応、そして、
実際にあった症例について次々話していきます。
そして、ついつい自分が今まで経験した症例についても、
身振り手振りで説明していきます。

そんななかで、
「子癇」について説明しました。
子癇とは、妊娠高血圧症のもっとも厳しい合併症の一つです。

 「みなさんの中で、子癇発作みたことある人いる?」
「・・・・」

今年は手を挙げる人はいませんでした。
無理もないと思います。
 「昔、ギネ、っていうドラマで、子癇発作出てたけど、覚えていない?」
「あぁ・・・。」

何人かが、小さく頷きました。

 「じゃあ、一度だけ、ボクが子癇発作して見せるね。」
「・・・・」

教室内はしーん、としています。

強張った両手を、強く上下に揺らし、
その振幅を徐々に大きくさせながら、
白目をむいて、体を大きくのけぞらせます。
のけぞったことで、ボクは後頭部を強く、うしろのホワイトボードに打ち付けます。
あまりに大きな音がしたのでみんなあっけにとられています。

教室の後ろで一緒に講義を聴いていた助産科の先生は、
もちろん、子癇を見たことがあるので、
しかめた顔を小さく横に振っています。

あっけにとられている学生さんたちに、
ボクはこう付け加えました。

 「皆さんが助産師として働いていく中で、おそらく、一度は見ると思います。 この子癇発作を見た瞬間に、皆さんがどれだけ冷静に対応できるか? いや、だれよりも冷静に対応しなければならいのが助産師です。 よく覚えておいてくださいね。」

ちょうど、講義の時間が終わったので、ボクは帰り支度をしました。
駐車場で、病棟の様子を聞くために病院に電話を掛けました。
なにもなければ、このまま直帰するつもりです。

電話しながら、何気なく腕時計を見ると、
なんと、
大切にしていた腕時計の、
文字盤の、数字の「6」が、
はずれて、「」な感じになっているじゃありませんか?
(写真撮っとけばよかったと今になって思います)
不思議なことに、それ以外の異常はありません。

 「わはは!」

頑張って講義しすぎました。
いやいや、
講義、頑張りすぎました。
子癇発作のマネで、どうやら激しく腕を振りすぎたようです。

時計屋さんに持っていくと、
修理期間が3か月といわれ、まだ修理はできていません。
修理代金はどれくらいなんでしょう?

いやぁ、この講義は高くつきました。

その後、2週間ほどしてもう一つの助産学校で講義をしました。
また、テーマは「子癇」です。

 「みなさんの中で、子癇発作みたことある人いる?」
「・・・・」

ボクは、そっと、今使っている、もうひとつの腕時計をそっとはずして、
机の上におきました。

 「じゃあ、一度だけ、ボクが子癇発作して見せるね。」
「・・・・」

時計がないと、腕をけいれんさせたときに、
ガチャガチャという音がしないので、
やはり、すこし物足りない気がしました。

伝えることは難しいと思いました。


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「ひとは生きてきたように死ぬ」 [産婦人科医]

当直のある夜、申し送りの時、巡回してきた師長さんとナースが
ある患者さんのことについて詰所で話をしていました。

産婦人科の患者さんではないのでよく知らなかったのですが、
かなり長い間入院していたそうです。
このお正月に家族がやっと家に連れて帰ることになってよかった、という話です。

 「家族って、一緒にいるのが一番なんですよね。」

ボクはいつもそう思っています。
入院が長くなればなるほど、家に帰るのが不安になるものですが、
それでも、自分の家以上に居心地がいい場所があるはずはないし、
家族が一緒にいればこそ頑張れると思っています。

「でも、あの患者さんは、そうじゃないんですよねぇ・・・。」
 「そんなの寂しいやん。」

いろんな事情があるようです。家族が介護を完全に拒否しているらしいのです。

 「その人にとって、家族ってなんなんでしょうね・・・。」

ため息をつきながら、静かに話していました。

そしたら、その師長さんがぽつりとこう言いました。

「○○師長さんがいつもいってるんです。 『ひとは生きてきたように死ぬ』って。」

多くの命を看取ってきた経験豊富なナースがいった一言が、ボクの心に突き刺さりました。
死ぬときこそ、その人の人柄がでるということなのでしょうが、
ボクは、家族を大切にしないことがいかに罪深いかという意味だと解釈しました。
それにしても、人の死に対して、あまりにも冷静な言葉です。
この冷静さがすこし、怖くもありました。

生まれてくることだけで一生懸命な小さな命をたくさん見つめてきたボクにとって、この言葉は衝撃でしたが、これからもすべての命を正面から受け止めていこうと思いました。




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