30年が経ちました [産婦人科医]
ボクは、
この6月1日で、医師になって、ちょうど30年になります。
(昔は、5月に国家試験の合格があって、6月1日から就職でした。)
今でも覚えています。
5月27日が月曜日で、
その日に集合するように、言われて、
産婦人科の教授室の秘書さんのところに集まったのです。
そしたら、
その年の入局者が、16人くらいいて、
更衣室のロッカーが足りなかったのです。
それで、
その日は解散。
6月3日の月曜まで、また自宅待機でした。
5月27日は、集まった同期の先生方と親睦を兼ねて、
とりあえず、近くのごはん屋さんでお昼を食べて帰りました。
カラオケにも行ったかもしれない。
なんとものんびりした時代でした。
その後の、
死にそうなくらいしんどい、地獄のような(笑)、
研修医生活を、ほとんどイメージできていませんでした。
それからのボクは、
なにを求めて、
なにと闘い、
なにを得てきたのでしょうか?
そして、30年という月日は、
今思うと、あっという間でした。
ただ、
毎日、毎日、新しいことを学んでいて、
一日とて、同じ日はなかったといえます。
一人ひとりの笑顔が、
必ず、誰かを、また笑顔にする。
そう信じてきました。
でも、
何人くらいの人が本当に笑顔になったのでしょうか?
これからも、
一人ひとりの患者さんと向かい合って、
産婦人科医として
がんばっていこうと思います。
この6月1日で、医師になって、ちょうど30年になります。
(昔は、5月に国家試験の合格があって、6月1日から就職でした。)
今でも覚えています。
5月27日が月曜日で、
その日に集合するように、言われて、
産婦人科の教授室の秘書さんのところに集まったのです。
そしたら、
その年の入局者が、16人くらいいて、
更衣室のロッカーが足りなかったのです。
それで、
その日は解散。
6月3日の月曜まで、また自宅待機でした。
5月27日は、集まった同期の先生方と親睦を兼ねて、
とりあえず、近くのごはん屋さんでお昼を食べて帰りました。
カラオケにも行ったかもしれない。
なんとものんびりした時代でした。
その後の、
死にそうなくらいしんどい、地獄のような(笑)、
研修医生活を、ほとんどイメージできていませんでした。
それからのボクは、
なにを求めて、
なにと闘い、
なにを得てきたのでしょうか?
そして、30年という月日は、
今思うと、あっという間でした。
ただ、
毎日、毎日、新しいことを学んでいて、
一日とて、同じ日はなかったといえます。
一人ひとりの笑顔が、
必ず、誰かを、また笑顔にする。
そう信じてきました。
でも、
何人くらいの人が本当に笑顔になったのでしょうか?
これからも、
一人ひとりの患者さんと向かい合って、
産婦人科医として
がんばっていこうと思います。