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次男の背中 [子育て]

前回の更新から、
すでに1年が経過しています。
あっという間の1年でした。
北海道で高校生活を送っていた次男は、高校3年になってしばらくして、
学校に行けなくなりました。
それまでは、成績もそこそこ優秀で、このまま頑張れば、
学校推薦で、それなりの大学にも入れただろうと思います。
しかし、もともと不安の強い彼は、勉強をどれだけしても、安心できず、
体調を崩して帯状疱疹が出たこともありました。
学校では、すべての教科の先生にしつこいくらいの質問をしていたようです。
それが、ある先生のご機嫌を損ねたのでしょう。
「そんなことくらい、自分で考えろ!
そういわれた彼は、それ以降、学校に行けなくなりました。
正確には、教室に入れなくなったのです。
何とか、保健室登校で頑張り、卒業試験も保健室で受験させてもらい、
いくつかの条件をクリアすることで
ギリギリの3月31日に卒業させてもらうことができました。
卒業判定まで、どんなに悪天候でも、片道30分ほどの距離を歩いて登校したのは、彼の、何とか卒業したい、という思いの強さを示していました。
支えてくださった担任の先生、保健室の先生、学年主任の先生には本当に感謝します。
ただ、
卒業が決まるまで、ボクは本当に生きた心地がしませんでした。
毎朝、ラインで生存確認をするのはもちろん、電話したり、下宿の大家さんに起きてるかどうか(生きているかどうか)、部屋まで見に行ってもらったこともありました。
これ以上、通学は必要がないといわれた2月の初め、ボクは下宿を引き払いに北海道まで行きました。
マイナス10度の極寒の時期でした。
たった3年間の生活でしたが、下宿には、たっぷりの教科書や参考書、マンガもあって、引っ越しに3日間かかりました。
その中の半日を使って、近くの湖に、ワカサギ釣りにも出かけました。
せめてもの思い出作りでした。

今は、予備校で、毎日、どっぷり勉強漬けの毎日です。
次の春か、どうかわかりませんが、
彼が無事に大学に合格できたとき、
お世話になった先生たち、下宿の大家さん家族、
そして、彼のお気に入りだった喫茶店のお母さんにも、
笑顔であいさつに行くことができたらいいなと思います。

小中学生の半分くらいを引きこもりで過ごした彼を、
普通の予備校生になるまでに育ててくれた、
学校や寮の先生をはじめ、あの北の大地の町のみなさんに感謝するばかりです。

京都で診察をしながら、
ボクは、
ずっと心のどこかで、次男のことを考えていたので、
いまだに、
電子カルテの入力ボタンをクリックする瞬間や、
胎児超音波検査で、胎児の顔を映し出しているときなどに、
あの町の風景が脳裏をかすめることがあります。

このフラッシュバックが収まるころには、
次の心配ごとができているかもしれませんが、
その分、次男が少しずつでも成長してくれていると信じて、
笑顔で過ごしたいと思います。

毎朝、自転車で出かける次男の背中を見ながら、
ボロボロになってでも、無事に京都に帰ってきてくれたことを感謝しています。




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