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30年が経ちました [産婦人科医]

ボクは、
この6月1日で、医師になって、ちょうど30年になります。
(昔は、5月に国家試験の合格があって、6月1日から就職でした。)
今でも覚えています。
5月27日が月曜日で、
その日に集合するように、言われて、
産婦人科の教授室の秘書さんのところに集まったのです。
そしたら、
その年の入局者が、16人くらいいて、
更衣室のロッカーが足りなかったのです。
それで、
その日は解散。
6月3日の月曜まで、また自宅待機でした。
5月27日は、集まった同期の先生方と親睦を兼ねて、
とりあえず、近くのごはん屋さんでお昼を食べて帰りました。
カラオケにも行ったかもしれない。
なんとものんびりした時代でした。
その後の、
死にそうなくらいしんどい、地獄のような(笑)、
研修医生活を、ほとんどイメージできていませんでした。

それからのボクは、
なにを求めて、
なにと闘い、
なにを得てきたのでしょうか?

そして、30年という月日は、
今思うと、あっという間でした。
ただ、
毎日、毎日、新しいことを学んでいて、
一日とて、同じ日はなかったといえます。

一人ひとりの笑顔が、
必ず、誰かを、また笑顔にする。
そう信じてきました。
でも、
何人くらいの人が本当に笑顔になったのでしょうか?

これからも、
一人ひとりの患者さんと向かい合って、
産婦人科医として
がんばっていこうと思います。


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心の支え [産婦人科医]

新型コロナウイルスの影響で、
自粛期間、生活様式の変更、そして、気が緩んでしまったことが原因なのか、
今は、第3波の間真っ只中。
言葉にならないしんどさが続く毎日です。
気が付けば、
もう、あっという間に一年が終わろうとしています。
そんな重苦しい日々の中で、
ボクが産婦人科医として、
日々、患者さんに向かい合い、寄り添い、
生きていくことができるのは、いろんな人たちの支えがあるからです。
このブログを始めたころは、
たった一人で、戦っているかのような思い込みもありました。
若さを言い訳にしてはいけないと思いますが、今思うと、本当に恥ずかしく思います。
そんな中で、この一年は、
大切な、二人の先輩がこの世を去りました。
ひとりは、
ボクが大学院をでて、最初に努めた病院の、もと部長の先生です。
頑固な面もありますが、
とても知性的で、冷静で、やさしい先生でした。
NICUがあり、産婦人科常勤医がたった二人の小さな病院でしたが、
もともと先生が専門であった内分泌の患者さんや、婦人科癌の手術まで
なんでもこなされていました。
ボクが大学院生の時にアルバイトで手伝いを始めたころも、
何度か食事に連れて行ってくれました。
体調を崩されて、退職することになりましたが、
もう一人の常勤の先生も開業することになり、
ほぼ入れ替わりで、ボクがその病院に就職しました。
その後、10年間、ボクはその病院で、どっぷり周産期医療にのめりこむことになったのですが、
研究会や同門会でお会いすると、必ず、やさしく声をかけてくれました。
「忙しそうやね。体だけは、大切にしてね。あの病院は、体に悪いから。」
笑うに笑えない冗談でしたが、
そういった言葉に、先輩からの励ましと愛情を感じました。
あの先生のためにも(当時、一緒に働いていた、小児科の先生だけではなく)、
ボクは、あの病院で、ひとりでも多くの妊婦さんと赤ちゃんを助けないといけない、
そう、気を引き締めたものでした。
5年前に開業したとき、内覧会を開いたのですが、
その時も、
大きな白い胡蝶蘭を、自分で抱えて、お祝いに来てくれました。
すごくうれしかったです。
そして、
開業して2年ほどたった時の、年賀状に、
「先生のクリニックの、よくない噂をまったく聞きません。これはすごいことです。」
と、書き添えられていました。
ボクは、こうやって、ちゃんとボクのことを見てくれていて、
応援してくれている先輩がいることを、
心から感謝し、心が震え立ちました。
この先生がみておられた患者さんが、先生が亡くなった後、
数人、ボクのクリニックに治療を継続してこられています。
担当の先生が、突然退職されたので、治療が継続できずが調子が悪くなった、といいます。
患者さんと話すと、その先生との信頼関係が伝わってきます。
先生こそ、ずっと、ちゃんと、患者さんと向かい合っておられたなと気づかされます。
あの先生なら、どんな声をかけるかな、と思いつつ、
あの先生に負けないくらい、患者さんと向かいあっていかなければと思いました。

そして、
亡くなったもう一人の先生は、大学の先生です。
ボクが、
以前勤めていた病院で、部長になったころです。
その先生は、市内の公的病院の部長をされていて、
患者さんのことで、相談したことがありました。
孤軍奮闘で、毎日、いっぱいいっぱいだったこともあり、
規模の小さい病院では、少し荷が重いと感じた妊娠のケースでした。
そちらの病院で診てもらえませんか、と相談したのですが、
「先生、それ、順番が違うでしょ! それは、丸投げ、っていうもんですよ。そういう心配があるなら、まずは、あれとこれの検査をして、それで、そちらの病院では、管理が困難だから、って、言うもんでしょ! 天下の〇〇病院がそんなことしたらあかんでしょ!」
ぼろぼろに叱られました。

その患者さんを引き受けることはできる。
しかしながら、
ちゃんと、検査をして、患者さんも納得した形で紹介しないと、患者さんも納得しないし、結局、ボクの病院が患者さんから信用を失うことになると諭してくれました。
その後、
その先生は大学に戻り、
ボクも医会の仕事を手伝うことになり、
たくさんの研修会を一緒に運営しました。
うっかりミスだらけのボクの仕事に、いつも、
叱咤激励(叱咤>>激励ですが)で、支えてくれました。
50歳を過ぎて、自分のことを本当に心を込めて叱ってくれる先輩は貴重です。
数年前から体調を崩されて、医会にはほとんど顔を出さなくなりましたが、
亡くなる直前の、先生が学会長をされた学会は、かつてないほどの盛会でした。
それでも、
ボクに、あれとこれを手伝ってほしいから、頼むな、って自分でクリニックまで訪ねてこられました。
 「もちろんですよ。お手伝いは、それだけでいいんですか? なんでもいうて下さい。」
そして、
この春、ボクは、専門医制度の書類を整理する担当だったので、
先生から書類の記載で質問があると、直接、電話がありました。
「病気してて休んでた時期があるんやけど、更新できるかな?」
病気をされていたとしても、研修会の参加や論文、単位数は問題なかったので、
問題ありませんと伝えました。
でもそれが、先生との最後の会話でした。

11月になって、指導医更新の審査結果が中央から届いたとき、
先生のお名前はあったものの、その時はすでに、亡くなっていました。
 「ボクにとっては、その生き様そのものが、ボクの指導医かもな。」
初めて叱られた時を思い出しました。

令和2年という、
多分、みんなの心に残る、歴史的な一年であったと思いますが、
ボクにとっては、
大切な、敬愛する二人の先輩をなくした年でもあります。

一年の締めくくりで、
今年初めての更新でもあるのですが、
亡くなった、この二人の先生が、ボクにかけてくださった、
愛情のある言葉や思い出を、心の支えにして、
また、ボクは、産婦人科医として、頑張っていきたいです。

すべての、子供たちに、
素敵なサンタクロースのプレゼントが届き、
その笑顔で、
すべての大人たちが幸せな気持ちになりますように!

メリークリスマス!





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HPVワクチン、ボクも受けました [産婦人科医]

子宮頸がんで亡くなる人は、
今の日本でも、毎年おそよ3000人ほどです。

ボクも、病院勤めをしているとき、多くの患者さんを治療しました。
比較的、若い年齢でなる方が多いので、
今も、うちのクリニックで術後の定期チェックを、更年期症状の治療と一緒にしている方もおられます。
そして、残念なことに、治療の甲斐なく、
命を落としていった患者さんもいました。

がんの末期は、担当医として、すごくつらいものがありますが、
子宮頸がんの患者さんの場合は、
肺、肝臓、腎臓など、生活臓器が問題ない方も多く、
意識が比較的はっきりしている一方で、
骨盤の腫瘍がどんどん大きくなり、出血が止まらず、
痛みと貧血がつづくのです。
(この表現で、気分を悪くされた方がいらっしゃれば、お許しください。)
そして、
このつらい病気には、
愛する人との性行為で感染した、HPVが原因だという、
切ない思いが、いつまでも残るのです。

 「ワクチンを、打っていれば・・。」

子宮頸がんワクチン(HPVワクチン)の接種率は、
わが国では、いまだ低いままです。
ワクチン接種をした際の副反応があり、それをきっかけに、
HPVワクチン接種の、積極的な推奨することを控える、という行政の動きがあったからです。
いまも様々な議論はされていますが、
ようやく、HPVワクチン自身の副反応ではないことが受け入れられるようになり、
少しずつですが、HPVワクチン接種を受ける方が増えてきています。
この数年間の行政の遅れとでもいうのでしょうか、
世界的には、HPV9価ワクチンが一般的なのですが、日本ではまだ認可される動きもなく、4価ワクチンのままです。
9価ワクチンで90%以上の子宮頸がんが予防されるのに対して、
現在の4価ワクチン(実際は子宮頸がんに対しては2価)は、66%程度の予防ということになります。
ただ、命にかかわる状態への進行を予防する目的において、
4価のワクチンでも十分な効果があると聞いています。
3回のワクチン接種を受けた全員が抗体を持てるかどうかわかりませんが、
少なくとも、皆が等しく接種を受けることが、ワクチンによる感染症予防の考え方です。
「自分だけが受けた」は、もしかしたらあまり関係ないのかもしれません。
風疹のワクチンの場合、何度も受けたにもかかわらず、抗体がつかない人はたくさんいるわけです。
皆が受けることで、抗体がつかない体質の人にとっても、安心な集団ができると思っています。

もちろん、年1回の子宮頸がん検診を受けることが、何よりも早期発見、早期治療につながります。
大学病院などでは、HPVに対する治療薬の治験も始まっています。
新しい治療ができれば、ワクチン接種の機会を逃した人でも、より安心して治療受けることができるようになるでしょう。

うちのクリニックでも、毎日のように、
子宮頸がん検診で異常が指摘された患者さんの精密検査を行っています。
実際に、ワクチンを受けた方でも、異常を指摘されることがあります。
しかしながら、たいていは、軽度異形成どまりで、それ以上進行していることはありません。
ボクの実感として、HPVワクチンは十分な効果があるようです。

 「ワクチン、受けていてよかったね。」
「はい。受けるとき、怖かったですけど。」

先日、
自分でも、HPVワクチンを受けることにしました。
いつも、患者さんにしているように、
細めの針で、ゆっくり、時間をかけて筋肉注射してもらいました。
まったく、痛みはありませんでした。

50代後半になって、
HPVワクチンを受けるおじさんは、世界的にも珍しいかもしれませんが、
ワクチンを受ける、若い患者さんたちの気持ちが少しでも理解出ればと思います。

そして、
 「ボクも、受けたよ。」
という言葉で、一人でも安心して受ける方が増えたら、と願っています。

今年も、あっという間の一年でしたが、
2月、9月と2回転倒し、右肩関節の脱臼やら骨盤の打撲やら、
半分くらいは、いつも、どこが痛かったです。

来年は、ケガをしない一年を送りたいです。

少し早いですが、

すべての子供たちと、
その笑顔を見守り、その笑顔で、勇気づけられる、すべての大人たちに、
メリークリスマス!!


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覚えてくれてなくてよかった [産婦人科医]

地域周産期センターの病院で勤務していたころ、
ちょうど、このブログを始めたころの患者さんの話です。

その方は、
切迫早産で、数週間入院して、治療をしなければいけませんでした。
上に、女の子と、男の子がいて、
3回目の出産でした。

そして、ちょうど、春休みから新学期のシーズンでした。

子宮収縮抑制剤を点滴で投与しながら、
安静入院をしていましたが、
一番上の女の子が、
卒園して、小学校に入学する時期に重なってしまいました。
幼稚園(か保育園)の卒園式は、なんとかなったように覚えているのですが、
徐々に症状が強くなり、点滴治療で、外出すらできない状況になっていました。

「着ていく服の準備もあるし、少し前に外泊したんですが。」
 「お腹がけっこう張ってるので、厳しいかな?」

入学式の準備は、おばあちゃんがしてくれることになりました。
結局、子宮収縮が安定せず、
入学式当日の外出、外泊は果たせませんでした。

入学式の日、お昼過ぎになって、
子供たちが病棟に遊びに来てくれました。
いつも、入院中のお母さんの面会で遊びに来ていましたが、
この日は、入学式のお洋服です。
スカートで、おしゃれに髪飾りもつけてもらっています。
弟君もかっこいいです。

 「入学、おめでとう!」
「ありがとう。」
照れくさそうに、答えてくれました。
 「お母さん、入学式に行けなくて、ごめんな。」

毎年、入学式シーズンになると、この申し訳ない気持ちになったエピソード思い出していました。

自分の長男の入学式の時、
緊張と希望の入り混じった、真一文字にきりっと閉じた口元を、
感謝の気持ちをもって眺めていました。
よくここまで大きくなってくれたと、
自然と涙が出てきました。
あの瞬間を、親として立ち会わせてあげたいと思ったからです。

そして、あれから10年以上が経過して、
この時の患者さんと、お姉ちゃんが二人でクリニックに受診されました。
診察を終えて、
ひと段落したときに、
 「入学式の時に、お母さんを外出させてあげなくてごめんね。」
と、ひとこと付け加えました。

ずっと、申し訳ないと思っていたからです。

「えー、そうでしたっけ? 覚えてませんよ~。」
 「そうなの?」
「私も、まったく忘れてました。」

お姉ちゃんばかりか、
お母さんまで言い出す始末。

ボクが守った、一番下の赤ちゃんは、もうそろそろ中学生です。
子供が三人いる、この方の「子供の入学式」は、その後も何度かあったわけで、
ずっと、ずっと申し訳なく思っていたのは
ボクだけだったのかもしれません。

すべての患者さんが、都合の悪いことを全部忘れてくれているとは思いませんが、
こうやって、大人になって、ボクのクリニックに来てくれることで、
あの「申し訳なさ」をすこしマシにすることができました。


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父の手 [産婦人科医]

ボクの父は、産婦人科の開業医です。
ボクが生まれる1年前に開業して、ずっとお産を中心にたった一人で頑張ってきました。
もちろん、母の協力がなければできなかったと思いますが。
数年前、開院50周年を機に、兄に院長のポストを譲り、現在は悠々自適の生活です。
しばらくは週1回外来診療も担当していましたが、それもやめています。
とはいっても、医院のすく隣に暮らしており、
帝王切開や吸引分娩などがあれば、オブザーバー的に立ち合い、
兄をうまくサポートしています。
その父は、今年、91歳です。

春先から、不整脈が出始めていました。
頭ははっきりしているのに、ずっと胸がもやもやして気持ち悪い、
死んだ方がましや。
などというので、休みの日には何度も顔を見に実家に戻っていました。
結局、心不全兆候も出始めたので、本人の希望も強く、
実家にほど近い病院で、アブレーション手術を受けることになりました。
手術は、ボクの休診日でもあったので、朝からずっと付き添っていました。
母や兄たちは、それぞれやることがあるそうで、一番ヒマなのがボクだったというわけです。

緊急手術がその前に入ったせいで、少し開始がずれ込んだのですが、
いよいよ手術に向かうときになり、
やっと手術が受けれると喜ぶ一方で、一瞬心細そうな表情もみせたので、
兄たちと一緒に、父の手を握って、励ましていました。

久しぶりに握った父の手は、
大きくて、エネルギーにあふれていました。
この手で、50年、いや、60年、
たくさんのお産に立ち会い、赤ちゃんを取り上げていたのです。
助産師は雇っていなかった父は、実際に自分の手で、取り上げていました。

 「父が生きている間に(大袈裟ですが)、父の手を握る機会があってよかったな。」
そう思いました。

このエネルギーって、
親子だからなのだろうか?
父の手が特別なんだろうか?
産婦人科医だからなのだろうか?

いろんなことを思いながら、
血管造影室に入っていく父を見送りました。

手術は、5時間ほどかかりましたが、無事終わりました。
帰ってきた父は、麻酔の影響で少しぼーっとしていましたが、
受け答えははっきりしています。

 「よかった。」

アブレーションを受けるべきか悩んでいるときに、背中を押したのが自分だったので、もしなんかあったら、母や兄たちに申し訳ないと思っていたのです。
手術が終わってから、父の回復は思いのほか順調で、
浮腫んでいた顔や足も、徐々に回復してきました。

「看護婦さんの何人もが、わしにお産で子供をとりあげてもらったって、いいにいきてくてれん。」
「体拭いてくれる時も、名前じゃなくて、『先生』って呼んでくれるねん。」

働いている看護師さんの何人もが、ボクの実家の産婦人科医院でお産をしていたのです。

 「大事にしてもらって、よかったね。」
本当に、父は幸せそうでした。

 「でも、手術、怖かった?」
と、聞いてみました。

「べつに。」

 「そうなんや。」

「手術の時、おまえらが、順番に、手握ってくれてたやろ?」

 「うん。」

「その時に、お前らの手が、あまりにもすごかったから、びっくりしててん。」

 「どういうこと?」

「『うわぁー!これが、たくさんの人の命を救ってる、医者の手なんや。すごいなぁ。』 
って思ったわ。なんかわからないけど、すごかったわ。」

父は、これから自分が、もしかしたら命に係わる状態になるかもしれないという手術の直前に、自分の息子たちの手の感触に、医者としてのエネルギーを感じたんだそうです。

ボクが、手術の直前に感じた父の手のエネルギーは、
同じように、ボクらから父へと伝わったようです。

心から尊敬する、産婦人科医として生きてきた父に、
もしかしたら、少しでも近づくことができているのかな。
そう思えて、
少しうれしくなりました。

実は、
ボクは、今までも、今でも、
お産や手術の時、
必ず、患者さんと握手をしたり、手を握りながら、
無事に終わったことを報告します。

 「お疲れ様。無事終わりましたよ。」
 「よく頑張りましたね。」

手術の前にすることはあまりなかったのですが、
これからは、
緊張が強い患者さんには、
握手をした方がいいのかなと思いました。

まだまだ、目指す目標は高いです。
これからも、修業は続くようです。


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働き方改革は素晴らしい [産婦人科医]

気が付いたら、
最後にこのブログを更新してから半年が経過していました。
ゴールデンウィークは、いま取り組んでいるレーザー治療の研修として、
イタリアに行ってきました。
1週間ほどの日程の中で、
先駆者として数多くの論文を発表し、実際に日本でもレクチャーを受けたこともある先生の、貴重な勉強会や、実際にレーザーを組み立てている工場見学など盛りだくさんでした。
合間に、レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」やウフィツィ美術館を見て回り、
ヴェネチアでゴンドラにも乗り、
研修以外にも有意義な旅となりました。
20年ぶりに訪れたイタリアは、何もかもまったく変わっていませんでした。

また、その1週間後に日本産科婦人科学会が仙台であり、
最近取り組んでいる、同じ診療内容で、ランチョンセミナーをさせてもらいました。

移動距離はざっと、12,000キロくらいでしょうか?
さすがにくたびれました。

周産期医療の最前線で、頑張っていたころには考えられないことです。
産婦人科医不足で、ぼくが「頑張っていた」ころは、
ぼくは、1年のうち、6日間しか京都市から出ることができなかったことがあります。
そして、京都市の、丸太町通より南に行くことも、年に2、3回でした。
たまに、京都駅周辺に会議で出かけるときは、うれしくて、「お土産」に?、
ソフマップでパソコンを買ったりしました。
また、5年に一度の専門医の更新に必要な、学会のポイントがギリギリ足りなくて、
慌てて、近場の研究会に出席しまくったのを覚えています。

医会の理事になり、
そういう仕事が増えてくると、
大学の知り合いの先生が、「珍しいですね、病院、今日は落ち着いてるんですか?」
などと、よく声をかけてくれました。

あの頃のボクは、
常に患者さんに張り付いて、どんな時も、最短の時間で駆けつけることで、
お母さんや小さな命をずっと守り続けていました。

でも、ああいう診療体制は、もうやってはいけません。
「働き方改革」
素晴らしい言葉です。

働き方改革に必要なものは、
第一に、チームの存在でしょう。
そして、
そのチームには、クオリティの均一化が必要です。
ドクターによって、診療スタイルが変化することはあっても、
診療のクオリティがばらついてはいけないのです。
そのために、
教育や研修、ガイドラインの充実が必要となります。
どんなときも、患者さんにとって、均一でハイレベルな医療が提供されるべきなのです。

10年ほど前にボクがやっていた診療スタイルは、
今の、働き方の感覚でいうと、
完全に「アウト」でしょう。

結果、
たくさんの、大切な小さな命やお母さんを助けることができましたが、
一方で、
大切な家族がしんどくなりました。

あと、10年早く、
働き方改革が始まっていたら、
どうなっていたんだろう?

幸いにも、
しんどくなっていた次男は、
なんとか元気を出して、
数か月前から学校に通い始めてくれています。
今のところ、
遅れていた勉強を取り戻すために、
へこたれずに頑張っています。

「頑張りすぎるなよ。」

イタリアにも、仙台にも、
たくさんの問題集や宿題(と、少しの漫画)をリュックに詰めて、
ニコニコとボクの旅行に付き合ってくれた次男は、
この5月だけでも、ひと回りも、ふた回りも、成長したように思います。
何度も、彼の笑顔を見ることができて、本当によかったです。

頑張りすぎず、頑張っちゃえる生き方、
そういう余裕のある状態でなければ、
笑顔が生まれてきません。

これからも、たくさんの笑顔に出会えるように、
まだまだ前に向かって、進んでいきたいです。


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やっと人生の半分 [産婦人科医]

今月末、ボクは誕生日を迎え、ようやく、人生のちょうど半分を、医師として、産婦人科医として過ごしてきたことになります。
ボクが医師になった当時は、国家試験が4月にあり、合格発表が5月の後半だったため、6月1日付の就職でした。浪人している関係で、やっと今になって、人生の半分に到達したわけです。
産婦人科医になって、女性のキモチをいつも考え、いわゆる女心の複雑さをいつも感じてきました。
(時には、しんどいなと思うこともありました。)
たとえば、
妊娠した分かった時の女性の表情は、本当に複雑です。
やったー!と、ガッツポーズで
幸せを感じている女性ばかりではありません。
今は産めない、産みたくない、産ませてもらえない、
産んでいいと言ってもらえないかもしれない、
産むのが怖い、もしかしたら遺伝的に何か異常があるかもしれない、
誰の子かわからない、
絶対パートナーとの子でない、
どうしたらいいのかわからない、などなど。

とくに開業してからは、こういった悩みを毎日受け止めています。

(大きな病院で産科外来を担当していたころは、産むと決めている女性がほとんどでした。
産むと決めた後に、いろんな不安があって、大きな病院へやってくるのです。)

閉経を迎えた女性のキモチも様々です。
月経痛で苦しんできた方、ずっと妊娠を待ち望んでいた方、
閉経を受け入れるキモチも、本当に様々です。

そして、自分がオトコなのか、オンナなのか(いやいや、もちろんオトコですが)、わからなくなる瞬間さえあります。

ただ、開業して、妊娠という大問題に直面した、若い女性に接する機会も多くなって、自分で気づいたことがあります。

それは、
「こういう時、きっとオトコはこう思っている。」
と感じることです。

ボクのクリニックに来て、どうしようか悩んでいるとき、パートナーの男性が一緒であることは少数派です。彼女らは、自分自身でもちろん考えているのですが、一方で、パートナーである男性が何を考えてるかわからないと悩んでいるようです。
彼女ら、それぞれが抱えているいろんな状況や問題をひとつひとつ聞いていくうちに、
「多分、カレシは今こう考えているのかもしれない。だから、カレシには、こう声をかけてみたらいいかもしれないね。」
などと、会話の中から、男性のキャラの自分がいることに気づくのです。
そして、話していくうちに、彼女らは、気分がずいぶん楽になったように思えます。
妊娠は、彼女らにとって、最大のピンチかもしれませんが、
人間として、自分のみならず、パートナーにとっても、
大きく成長するきっかけになると信じています。

彼女らは、女性である自分を、女性のキモチがわかる人に共感してもらい、女性としてのアドバイスが欲しいと思う一方で、
パートナーのキモチがわからず、不安に思い、パートナーの理解できない言動、つまり、オトコのキモチを解説してほしいと願っていることに気づくようになりました。
世の中で、オネエと呼ばれている男性が、男性からも女性からも受け入れられているのは、きっとそういうオールマイティさが求められているからなのではないでしょうか?
(それ以外に、性的マイノリティゆえの寛容さもあると思います)

長い人生の半分もかけて、ようやく気付いたことが、たったこれだけなのか?と悲しく思う瞬間もありますが、ボクにとっては、この時間は欠かすことができない時間だったと思っています。

産婦人科医であることが人生の3分の2を占めるまでには26年以上かかりますが、
80歳で見えてくる新しい次元の世界があるとしたら、
残りの人生がすごく楽しみになってきました。

開業して「毎年、自分の誕生日に、お産に立ち会う」という、ボクの楽しみはなくなってしまいましたが、今思うと、それが最高の贅沢であったと気づかされます。

10年後、いやいや、20年後の自分をイメージして
まだまだ、ボクの修業は続きます。

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医師として、気持ちを引き締める日 [産婦人科医]

6月1日は、20数年前に、ボクが医師として、産婦人科医として、社会人として歩き始めた日です。
昔は、国家試験は4月にあり、結果発表が5月だったので、働き始めるのが6月1日になったという訳です。
研修医として最初にオリエンテーションを担当してくれた先生は、当時の病棟副医長でした。その先生とは長い付き合いで、結局、ボクが開業する前に勤めていた病院での上司でもありました。

自分が開業するときも、一番心配をかけて、一番迷惑をかけた先生です。

辛口な時もありましたが、どんな時も、いつもボクの味方でいてくれた大切な恩師です。
開業前に、自分が開業することを決心した時には、息子のことも一緒に心配してくれて、自分にできることがあれば遠慮しないようにと言ったうえで、「頭を冷やしてもう一回考えてみなさい。」と諭してくれました。
しばらく時間をおいて、もう一度、退職して開業する決心が変わらないことを告げに行ったときは、開業して一日何人くらい診察したら採算がとれるんだろうって、真剣に計算してくれました。

開業の時は、先生は、素敵な観葉植物をお祝いにくれました。
胡蝶蘭が多い中、いつまでも枯れない観葉植物という選択は、その先生の人柄そのものだと思いました。

ボクのクリニックは、開業当時にいただいた観葉植物がいくつかあり、どれも大切にしていますが、
先生からいただいた観葉植物は、診察室で患者さんと向かい合ったときに、ボクの左後ろで、ボクを指導しているような位置関係に置いてあります。

自分がつねに、患者さんに向かい合い、そして、ときに寄り添い、信念と希望と愛情をもって医療を続けることができるのは、いつも自分が理想としている医師の姿があり、その姿に見守られてきたからです。そして、今も毎日、見守られています。

何年たっても、追いつけない、追い越せない、自分にとって大きな存在。
少しでも、近づくことはできるのでしょうか?

まだまだ、修業は続きます。

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10年経ちました [産婦人科医]

このブログを始めて、ちょうど10年が経ちました。

その頃のボクは、
いつも何かと戦っており、
何かに憤り、何かを威嚇し、何かを叫んでいました。

「小さな、新しい命を守る」という、大義名分のもとで。

しかし、
そうして、ボクは、
何を得たのでしょう。

たしかに、日々の喜びがありました。
元気な赤ちゃんの産声だったり、ほっとしたお母さんの笑顔だったり。

今でも、元気に、無事に育った姿を見せに、
産まれるときにボクが立ち会った子どもたちがクリニックを訪ねてくれています。
これほど、幸せな瞬間はありません。

でも、そうやって、ボクが何かと戦ってきたことで、
怯えたり、傷ついたりした人たちもたくさんいたと思うと、
本当に申し訳ない気持ちになります。
 ・・・ごめんなさい。

今のぼくは、
もう憤らないし、威嚇もしないし、叫びません。
なぜなら、その必要がないからです。
たまに、歯がゆい気持ちになることはありますが、
ボクがニコニコしているほうが、みんながハッピーになります。

今、ボクには、
児童虐待未然防止(妊娠期からの虐待対策)や、
望まない妊娠をゼロにする(若年妊娠をどうするか)、
そして、少子化対策(適切な年齢で妊娠・出産)など、
産婦人科医ができる大切な仕事がいくつかあり、
その一つ一つを、大切に続けています。

今日も、ボクが帝王切開で取り上げた子どもが、
お母さんの検診に連れられて、
クリニックに来てくれました。
診察が終わって帰るときに、
「ありがとう!」って、
お母さんの代わりにハイタッチしてくれました。

きっと、君も、明日の朝、
サンタさんからのプレゼントを受け取って、
きらきらした最高の笑顔を見せてくれるんだろうね。

明日の朝、
自分の枕元に、
なぁんにも届いていなくても、
きっとボクは、ニヤニヤしながら目覚めるでしょう。

子どもたちの最高の笑顔と、
そして、
その笑顔をプレゼントしてもらった大人たちの微笑みとを
想いながら。

メリークリスマス!

産婦人科医は、今も頑張っています。


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順調ですか? [産婦人科医]

前の病院を退職して、
今月末で丸一年になります。
あっという間でした。
ちょうど一年前は、開業準備と日々の業務をダブルでこなしてたので、
睡眠時間は3~4時間でした。
よく身体が無事だったなと思います。

開業当時は、患者さんも少なくて、
これまで勤務していた時の患者さんが受診に来てくれていたので助かりました。

受診してくれた患者さんが、
「ここって、先生一人なんですか?」
 「そうなんです。」
「じゃあ、いつ来ても、先生が診察してくれるんですか?」
 「そういうことになりますね。」
「待ち時間もないし、いつ来ても先生だなんて、オトクじゃないですか?!」
 「そう、いつでも大売出し中ですよ。」
 「わはは。」
 
まだまだ、黒字ベースは程遠いですが、
少しずつですが患者さんも増えてきて、
奥さんの援助もあって、なんとか生活できています。

何かと忙しいですが、少なくとも毎日、ニコニコして働いています。

先日、学会に出かけて、久しぶりに会う先生方、何人かと話すことがありました。
みなさん、口を揃えたかのように、

「どうですか?順調ですか?」
と訊いていただきます。
「儲かりまっか?」
という意味です。

 「いやいや、まだまだヒマヒマです。」
 「今の、3倍くらい、まだまだ余裕で働けるくらいです。」

「またまたぁ、めっちゃ稼いでるんでしょう?」

 「そのつもりでしたが、なかなかうまくいかんもんです。」
 「でもね、」
 「毎日、ストレスなくて。」
 「何よりも、それが一番よかったんです。」

「そうでしょう。先生の顔見たら、わかりますよ。」
「前よりも、もっと優しい顔になってますよ。」

ある、大学で研究されている先生が別れ際にそういってくれました。

 「そうですか~?わはは。」

前の病院を辞めてしまい、
多くのみなさんに、たくさんご迷惑をおかけしたことは
申し訳ないと思っています。
でも、そのおかげで、
ボクは、今、毎日、ニコニコしていて、
目の前の患者さんを前より優しい笑顔で診察することができています。

そして、また、新しくやるべきことも、いくつも出てきています。

それは、これから生まれてくる、新しい命と、お母さんを大切に、守っていくことです。
大きな病院でなくても、できることはたくさんあります。

まだまだ、産婦人科医は頑張っています。

「順調ですか?」

 「はい、順調ですとも。」

一人の産婦人科医として、そう笑顔で答えることができる日は、そう遠くないと信じています。


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