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そこまでやさしくなれるんですね [妊娠]

開業して3年目、最近、少しずつ忙しくなってきました。
患者さんの待ち時間はなるべく短くしたいと心がけていますが、
自分が大切だと思うことは、やはり手を抜きたくありません。
妊婦健診の患者さんは、超音波検査や内診、そして、生活指導があり、一人あたりの診察時間がどうしても長くなりがちです。
うちのクリニックは分娩を取り扱っていないので、
周辺の施設と連携したうえで妊婦健診をおこなっていますが、
診察が終わっても、それぞれの妊婦さんに不安や心配事がないか尋ねます。
そして、スタッフも助産師さんがいるときは、
ぼくが健診したあとにも助産師さんによる相談や指導も行っています。

そんな中の、一人の妊婦さんのことです。

その方は、もともと妊娠を希望してうちに紹介されてきた方です。
その方のホームドクターが、ボクの高校の同級生で、大学は1年先輩の内科医で、
結婚してしばらく経っても妊娠しないと、ボクに紹介してくれたのです。
何かと不安が強い方でしたが、いくつかの検査で不妊の原因も判明して、
その後、なんとか無事に妊娠に至りました。

妊娠しても、やはり不安は強く、診察時間は長くなります。

その方が出産する施設でも健診を受けているのですが、
ときどきうちのクリニックでも健診を受けに来られます。
忙しい大きな病院の外来診察では、限られた時間の中で、
この方の不安はなかなか解決できません。
ただ、妊娠経過にすこし心配があったので
出産する病院での継続的な健診を受けるよう、紹介しました。

そして先日、久しぶりに予約を取って健診に来られました。
妊娠の経過が落ち着いていることもあり、
「心配事」の相談があるそうです。
妊婦健診や詳しい超音波検査だけでなく、
ボクと話すことで、いろいろな不安が少しずつでも解決します。
診察室に入ってこられたとき、
長かった髪の毛をバッサリと切り、ショートカットになっていました。
女性が髪の毛を切るときは失恋と、昔から相場が決まっているもんですが、
妊娠や出産をきっかけに髪を切る方も少なくありません。

うちのスタッフが、「髪の毛、切ったんですね?」と声掛けをすると、
「はい、ヘアドネーションしました・・・。」

 「??」

最初、恥ずかしながら、何のことかわからなかったのですが、
すぐにスマホで検索して、納得しました。
切った髪の毛をウィッグにして、化学療法で抜けてしまった子供たちなどに提供するのです。

「どうせ切るなら、なんかの役に立ちたいと思ったので・・・。」 
 「なるほど。いいことですね。」


「なんか、夜になると子宮の左だけが突っ張る感じあるんですが、胎盤とか大丈夫ですか?」
「病院の健診は診察時間が短くて、聞きたいことが聞けないんですが、その病院で健診を続けてて大丈夫ですか?」
「病院の先生に、あまり動き回らないように言われたんですが、どこまでならいいんですか?」
「陣痛が来たらどうしたらいいんですか?」

妊娠は、不安だらけです。
妊娠のしんどさを、経験した人ならわかってもらえると思いますが、たぶんその8割くらいが「不安」です。
「案ずるより産むがやすし」という言葉がありますが、
やってみたら大したことなかった、という意味ではなくて、本当は案ずることが一番しんどかった、という意味ではないかとも思います。

この方の、案じてばかりの妊娠期間は、
自分やおなかの赤ちゃんのことばかりに収まらず、
ついに、病気と闘っている子供たちのことにまで及んでいたのです。
いいお産をしなくっちゃ、とか、
元気な赤ちゃんと産まなくちゃ、
という責任感を通り越しているのです。

 「そこまで、やさしくなれるんですね。」

素直にそう思いました。

 「大丈夫、絶対、いいお産ができますよ。」

だって、よその子供たちのことまで考えることができるんですから、
どんな痛みがあっても、あなたの心配を超えることはないでしょう。




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いつもとは違うクリスマス [妊娠]

メリークリスマス!
声を大にして、そう叫んできました。
大人たちの愛と希望に包まれながら、
すべての子供たちが、朝目覚めると、
姿が見えないサンタクロースからのプレゼントに、にやけてしまう。
ボクが思う、クリスマスの朝。

でも、今年のクリスマスは少し違いました。

中学生の息子は、
サンタクロースについに手紙を書かなくなり、
それはそれで仕方がないだろうと、ボクはボクで、
彼にプレゼントをすることにしました。
それなりに喜んでくれて、毎日使ってくれています。
 「よかった、よかった。」
でも、手紙を書かなくなった理由は、欲しいものがないからだといいます。
これまで、サンタには、親にはお願いできない、無茶ぶりといってもいいようなプレゼントを手紙に書いていましたが、そういった「わがまま」を楽しくなくなったようです。
なんとなく、寂しく感じましたが、
クリスマスに賞味期限があるとしたら、こんな感じの終わり方なんでしょうね。

そしてもうひとつ。
クリスマスの日に、中絶手術を受けた患者さんがいました。
その患者さんが、麻酔の時に、泣きながら言った一言が、
あまりにつらくて、切なくなりました。
(もちろん、内容はここでは書けません。)

この若い患者さんが、いつか、子供をもって、
同じように、プレゼントをもらった我が子の笑顔を見て、
幸せな気持ちなりますように。

あんな気持ち、こんな気持ち、
すべてひっくるめて、
メリークリスマス!

産婦人科医として、
一人の親として、
人間として、
まだまだ、ボクの修業は続いています。

皆さん、佳いお年お迎えください。

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超音波の写真 [妊娠]

ボクのクリニックは、街中にあります。
以前勤務していた病院と、その前に勤務していた病院のちょうど中間です。
ボクが今まで担当していた患者さんたちが通いやすいように、
いくつかの交通機関で繋がっている場所を選びました。
そういうクリニックならではというわけではないのですが、
若い患者さんが、「月経が遅れている。」という理由で受診されます。
独身で、一人暮らしで、多くは学生さんです。

「おしっこの検査(妊娠反応)で陽性がでました。」

明らかに嬉しい笑顔で話している方と、
あきらかにその真逆の表情を浮かべている方と、
長年産婦人科医として働いていると、
その方の、次の言葉は想定することができます。

いくつかの質問をして、
これから行う診察の内容と、
予想される診察所見などを手短かに説明します。
あれこれ説明しても、きっと頭には入って行かないでしょう。
続きは超音波で診察しながらにします。

時期によってももちろん見え方は違うのですが、
正常な妊娠初期であれば、超音波検査で、
子宮の中に小さな袋(胎嚢)があります。

 「妊娠ですね。現在のところ、計算した妊娠週数からみて、正常の妊娠です。」

多くはカーテン越しなので、
顔は見えません。
でも、
超音波装置のモニターに映る、
小さな命の姿に、
短い、ため息が聞こえてきます。

この瞬間まで、
生きた心地がしなかったのでしょう。
そして、
そのため息は、
悲しいため息なのか、嬉しいため息なのか、
一言では表現できない、複雑なものです。
そのため息は、
一つの決心の瞬間でもあります。
短くて、長い、診察時間です。

ボクは、
超音波装置の画像を止め、写真をプリントします。
白黒の小さな写真です。

内診を終えて、
もう一度、写真を見せながら、
診察室でお話をします。
内診台では緊張して、説明をあまり覚えていない方もあります。
診断されたばかりなので、
これから考えて、相談して、どうするか決めることになるのでしょう。
もちろん、最初から、
中絶することを決めた上で受診している方もあります。

診察の最後に、超音波の写真を差し出します。
帰って、パートナーや家族に説明するときに必要になるからです。
ただ、その写真を受け取るときに戸惑いを見せる方もあります。

 「この写真、どうしましょう?」
「・・・。」
 「ボクが預かっておきましょうか?」
「はい。ここで、預かってもらっていて、いいですか?」

自分の人生や、パートナーの人生など、
いろんなことを考えた結果の決心でしょう。
その決心を、だれも責めることはできません。

 「わかりました。」

ボクは、超音波の写真を、
診察室の机の、患者さんから一番遠い、反対側の端に、
置き換えます。
そして、患者さんと向かい合って、
もう一度、話をします。

 「あなたの決心は、考え抜いた結果でしょうから、それで間違ってはいないでしょう。」
 「でも、今日の診察で、もし、違う決心になったとしたら、教えて下さい。」

診察が終わって、
一番反対側に置いた写真は、
ボクの診察机の引出しの中に移します。

少しずつ増えていく超音波の写真は、
ボクの、今の、命の現場です。


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コウノドリ効果 [妊娠]

少し前の話になりますが、
ドラマ「コウノドリ」を観た方も多いと思います。
たしかに、リアルでした。
ボクたち産婦人科医が、お産の最前線で経験する、いろんなことを
実にわかりやすく、スマートに伝えています。
ボクら、いわばプロが観ても、
「うん、うん、あるある。」
と、納得してしまうことばかりでした。
実際に経験したことがあるだけに、
思い出して、怖くなって、
ついウルウルしてしまうシーンもありました。

その中で、常位胎盤早期剥離の妊婦さんのシーンがありました。
タバコをふかしている最中に、突然発症するくだりです。

ボクは、昔働いていた病院では、
月に1回のペースでしたが、土曜日の母親教室に参加して、
レクチャーをしていました。
その病院の母親教室は、妊娠中期と妊娠後期に1回ずつ、
計2回受けることになっていました。

ボクは、たいてい後期の教室だったので、おもに、妊娠32週以降の妊婦さんが対象になっていました。
ボクの話す内容は、いつも内容が決まっていて、
例えば、3人お産した人なら、3回とも母親教室に参加したとしたら、3回同じ内容の話を聞くことになります。
どんな内容かというと、
一つは、陣痛とは?という内容、続いて、常位胎盤早期剥離(早剥)についてでした。

まず、正常の陣痛の特徴について説明します。
内容は、陣痛の「陣」の漢字の意味からはじまるものでした。
(そのあたりは、長いので省略します)
そして、
早剥について話します。
早剥は、病院で起こる場合よりも、
自宅などの病院外で起こるものの方が深刻です。
早剥はほとんどが痛みを伴うものなので、
陣痛と混同されることも少なくありません。
早剥を自分でイメージするためには、
陣痛そのもののイメージが大切です。
そういった内容を順番に話していきました。
だいたい持ち時間が20分程度だったんですが、
いつもその倍以上の時間をかけてしまい、
夏の暑い時期には、気分が悪くなって途中退出される方も
いらっしゃいました。
皆さんにご迷惑をおかけして、
申し訳ありませんでした。

それでも、こういった「生々しい」話は、役に立つこともあったと確信しています。

もう15年以上も前のことですが、
ある朝、8時45分くらいに、ある妊婦さんが救急車で運ばれてくるという連絡が入りました。
突然のことなのでびっくりしましたが、
外来で診察したら、妊娠34週の妊婦さんが、お腹を抑えながら苦しんでいます。
ばしゃばしゃと羊水が混じったような出血が服を通して流れています。
 「早剥や。すぐに、カイザー(帝王切開)!」
15分後に生まれた赤ちゃんは、少し小さめでしたが、
元気に産声を上げ、幸いにも無事でした。

手術の後で、話していると、
言葉少ないその方は、ひとこと、
「母親教室で、先生がお話しししていたのを聞いていたので、
すぐに判りました。自分で救急車を呼んだんです。」
と話してくれました。

また、ヘビースモーカーの別の患者さんは、
同じ症状で、緊急帝王切開になったのですが、
あとで、同じママ友さんに、
「母親教室で、先生の話、聞いてへんかったんちゃう?」
と叱られたそうです。
そのママ友さんは、子供が2人で、2回とも同じ話をボクの母親教室で聞いていたそうです。

こういうことがあると、
毎月、貴重な休み時間の土曜の午後を使って
母親教室で話していたことは、
決して無駄ではなかったと思います。

そこで、
先月、前の病院でのアルバイトで、
人生最後?になるかもしれない、
当直に入った時のことです。

夕方、8時ごろでした。
一本の電話がかかってきました。
妊娠34週くらいの、若い初産婦さんからでした。

電子カルテを見ながらの、電話応対です。
カルテの記載によると、
もともとヘビースモーカーだったようですが、
妊娠してからは、どんどん減っているようでした。
そして、
「テレビを見たら怖くなった。」と、見事、
完全禁煙に成功したようです。

妊娠34週の、お腹の張りはたいてい「前駆陣痛」です。
出血していなくて、痛みの間隔がはっきり自覚できるようであれば、
たいてい大丈夫です。

 「たぶん、大丈夫だと思いますが・・。」
「いえ、どうしても不安なんで、診察お願いします。」

しばらくして、診察しましたが、
やはり、胎児も胎盤も異常なさそうです。
そして、病院に到着した時には、すでに痛みも弱まっていました。

 「よかったですね。大丈夫そうですよ。」

ほっとした様子の子の妊婦さんは、「コウノドリ」を観て、
自分がタバコを吸っていたことで、
毎日、早剥にならないかすごく心配になっていたのだそうです。

「あと少し、頑張りましょう。無事に赤ちゃんの元気な産声を聞くまでは。」

怖がらせることが、正しいとは言えませんが、
ビジュアルで伝えることのほうが、強烈で、より効果的なのかもしれません。

「コウノドリ」は、母親教室の教材としても、
これからも使用されるべきものではないかと思いました。

そしたら、ボクが10年間、ずっと話していたスピーチも不要になるでしょう。
今思うと、自分でも、よく頑張ってきたなと思います。

元気な赤ちゃんを想う気持ちを、
母親教室だけではなく、
いつまでも伝えることができたら、と願うばかりです。

まだまだ、やることはたくさんあります。

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病院の先生はみんな優しかった [妊娠]

うちの病院では、周産期カンファレンスとして、
産婦人科医と小児科医、助産師、NICUのナース、
そして、ケースワーカーが
毎週カンファレンスをおこなっています。
そこでは、
それぞれが担当しているハイリスクの妊婦さんをプレゼンしたり、
助産師さんが、それぞれ外来で面接して、その産婦さんの家族背景や心配事を聞くなかで、
問題がありそうな産婦さんについて報告したりしています。
実際、分娩はいつおこるか予想できないので、
早い週数から、いろんな情報を共有しておくことが大切です。
リスクは、医学的なものだけに限らず、
社会的なリスクについてにも目を向けています。

そんな中で、「有名人」の妊婦さんがいました。

年齢こそ、そこそこ重ねているのですが、
いわゆる、今時の若者です。

ほとんど、自分のペースでしか妊婦健診を受けません。
予約をとっても平気でキャンセル。
お腹が痛いと、突然、救急受診してきます。
「一応」外来担当医はいるのですが、
実際には、ほとんどその先生の曜日には来ません。

ある夜、「破水したかも?」って電話がありました。
妊娠8ヶ月目だったので、当直の先生が、
すぐに受診するように指示したにも関わらず、
来院したのは明け方。
どうやら友達と遊びに行っていたそうです。
結局は大丈夫でしたが、
その夜の当直の先生もキレそうになったそうです。

陣痛が始まると、
連絡がくるのは、なぜか「友達」経由でした。
本人でもなく、お母さんでもありません。
強いのか、弱いのか、破水はないか、
さすがに、友達経由では陣痛の様子もわからないので、
連絡をうけた助産師さんも困っていました。
そもそも、こちらからこの産婦さんに電話をかけても、
着信拒否なのか、全くつながりません。

 「痛くなったら、自分から来るやろ。」
当直だったボクは、友達の名前と連絡先くらいは聞いておくようにと、
助産師さんに指示しました。

日曜日の当直でした。
朝の「陣痛開始」の噂から半日がたち、日付が変わる前に、
いよいよ陣痛が強くなり、彼女は登場(入院)しました。
その「有名人」の産婦さんとボクは初対面でした。

たしかに今時のお嬢さんですが、
ボクが想像していたより、落ちついているようにも見えました。

日付が変わって、
明け方にお産にありました。

お産が終わって、処置をしながら、
しばらくトークタイムです。

 「なんで、陣痛がはじまったときに、電話してきたのが友達やったんですか?」
「痛くなってきて、友達にメールしたら、『そんなんほっといたらアカンやろ。私が連絡してあげる。』って、友達が病院に電話してくれたんです。」
 「えらいやさしい友達やね。」(京都風のイヤミです)
「そうなんです。あの子も、ここ(うちの病院)で産んでいて、『まかせとき!』って、電話してくれたんです。」
 「状況がつかめないから、助産師さんが困ってたんですよ。今度からは、自分でちゃんと電話してきてね。」
みんなが困っていたと伝えました。
最後に、妊婦健診がとびとびになっていたことについて、
いろんな事情はあったかもしれないけれど、
けっして褒められたものではなかった、と諭しました。

みんなが、あなたのことを心配していたので、
おかげで、今日、あなたとは初対面の気がしない、と付け加えました。

処置が終わって、お疲れさまと声をかけたとき、

「この病院の先生、みんな優しかったぁ。」
 「そう思ってくれるんやったら、今度もし、妊娠することがあったら、ちゃんと約束を守ってくださいね。」
さすがのボクも、当直の明け方のせいか、しんどくなりました。
ボクたち、スタッフが優しかったのは、
決して、この産婦さんに対してではありません。
みんな、お腹の赤ちゃんのことを一番に心配していたんです。

受診態度が悪い、と叱りつけでもして、
それが原因で、もっと病院に来なくなったら、もっと困る、と
思っていただけなんです。
陣痛がきて、自分で電話しないことで、
なにか不都合なことが起きても、
こちらから連絡がつかない状況で、
病院の外で起こったことは、
ある意味、自己責任なんです。

でも、どんなときも、
一番つらい思いをするのは、
一番弱い立場のものです。

この産婦さんが感じた、友達やボクたち病院スタッフの優しさの意味を
育児を通し、いろんなことを経験して、
少しずつでも理解して欲しいと願うばかりです。

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笑顔の約束 [妊娠]

年末のせわしない毎日が続いています。
11月に続き、12月は、忙しかった。
そして、つらかった。

言葉にできないくらい。

毎年、クリスマスの時期には、ボクはこのブログでも、
元気に生まれてきた赤ちゃんたち、
そして、
悲しくも、生きて生まれてくることができなかった赤ちゃんたちに、
同じように、サンタクロースからのプレゼントが届くように
祈っています。

サンタクロースのプレゼントは、
ボクたち大人が、子どもたちの希望と幸せを祈り、
そのお返しに、すてきな笑顔を見せてもらえるという
ご褒美でもあります。

そして、ブログでは書く時間がありませんでしたが、
今年も、祈りました。

そんな中で、忙しく、外来で健診をしている妊婦さんたちのなかに、
一人の妊婦さんがいます。

5年前、前の病院にいた頃、
妊娠23週で救急搬送になりました。
病院に到着したときには
赤ちゃんの体が子宮から出かかっており、
逆子でした。
そのまま経腟分娩になり、小児科の先生の懸命な蘇生にかかわらず、
500グラムほどの小さな赤ちゃんは、まもなく亡くなりました。

この方の悲しみはとても深く、
睡眠障害や気分不安定が続きました。
ボクは、お産の後も、
月に1、2回、自分の外来に来てもらい、
抗不安薬なども使いながら
診ていきました。

半年ほどが経ったとき、
「もう大丈夫です。」と、言ってくれました。
次の予約はいりません、と。
何かを決心したかのようにも見える深いまなざしでした。

そして、まもなく、妊娠して、またボクの外来に診察に来てくれました。
次の妊娠は、予防的な子宮頸管縫縮を行ったにもかかわらず、妊娠34週で破水、早産になりました。もちろん、赤ちゃんは元気で、無事に育っています。
無事にお産を終えることができて、ボクは少しでもこの方のかつての悲しみを癒すことができたかもしれませんが、それでも、亡くなった赤ちゃんを忘れることはできません。

その後、2年近くして、今の病院に移り、再びボクの外来に来られました。
妊娠を希望されての受診です。
もともと月経不順のあったので、軽い排卵誘発ですぐに妊娠することができました。

今回の妊娠でも、やはり子宮頸管縫縮術を行いました。
最近は予防的頸管縫縮術以外にも黄体ホルモン製剤投与が選択されることもあるのですが、2回目の妊娠で何とかうまくいったので、方法を変えたくありませんでした。
手術のあと、小さな出来事もそれなりにあって、
なかなか順風満帆とはいきませんが、
今もなんとか妊娠週数を重ねることができています。
胎児も順調に育ってくれています。

しかしながら、
妊娠に関して不安が拭いきれないこの方は
笑顔を見せてくれることはほとんどありません。
当然だと思います。

診察をする度に、
ボクは最初のお産を思い出します。
診察が終わって、お話をする時も、
やはり、最初のお産を思い出すのです。

ボクは、この方を診て、
「いつも不安そうで、笑顔を見せてくれない」
と感じていました。

少しずつ週数が進んでいき、
そろそろ、もし早産になっても赤ちゃんが
無事に育ってくれる週数に入り出した頃、
たまに、にっこりしてくれる瞬間が出てきました。

 「笑顔や」
ボクは、一瞬の笑顔を見つけて、
ほっとするのですが、しかし、その次の瞬間、
ボクの顔をじっと見て、
また不安そうな顔に戻ります。

この方が心から微笑む瞬間を
ボクは見ることができるのだろうか?

この方が微笑まないのは当然でしょう。
最初のお産があまりにも悲しいからです。

しかし、
それだけではないと思うようになりました。

ボク自身が原因なんだろうと気付いたのです。

自分では気付かなかったのですが、
ボクはこの方を診察するとき、
きっと、ものすごく恐い顔をしているのではないかと思うのです。

最初の赤ちゃんを忘れまいという気持ち、
今の赤ちゃんをなんとか無事に持たせたいという思い、
この方の今までの経過の中で、
自分の力が及ばなかったことに対する申し訳なさなど、
ボクの様々な想いが、
きっと自分では気付かないうちに、
「恐い顔」になっているのではないかと自覚するようになりました。

笑顔を見せてくれていないのは、
この方ではなくて、
ボク自身だと思います。

患者と主治医という、長い付き合いの中で、
きっと、この方は、
ボクの一番恐い顔を見ているのです。

あのときの、
ボクの一番恐い顔をまた見るのではないか、
という不安と戦っているといいのかもしれません。

そう思うようになると、
本当に申し訳ない気持ちになります。

あと少し、
もう少し頑張りましょう。

そして、きっとボクは、
あなたににっこりと微笑むことができるはずです。

決して忘れることのできない赤ちゃんを想いつつ、
新しい命の誕生を迎えたいと思います。

メリークリスマス!

すべての子供たち、
そして、その子供たちを愛する人たちに、
愛に満ちあふれた、最高の笑顔を!
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大病院で産むということ [妊娠]

大学病院の研修医だったころ、
「毎日、お産に立ち会う」ことよりも、
「毎日、がんの患者さんとどう向き合うか」の方が大変でした。

同期の研修医仲間のひとりが、
「こんな本見つけてん。感動したわ。」
と、医局でほっこりしているときに、一冊の本を見せてくれました。

その本のタイトルは、『病院で死ぬということ』
アマゾンで調べてみると、著者は山崎彰郎さんというドクターでした
「一般の病院は、人が死んでゆくにふさわしい所だろうか。…。これは患者と理解し合い、その人の魂に聴診器をあてた医師の厳粛な記録。」という内容紹介が書かれています。

ボクはちょっとだけ見せてもらったのですが、内容はほとんど覚えていません。
その時、大学研修医として、必死に頑張っていたので、
ボク自身の気持ちとして、
病院(とくに大学病院で)で死ぬことを否定したくなかったのだと思います。

それから、20年が経ち、がん治療は大きく変遷しました。
なによりにも患者さんのQOL(生活の質)が最優先という考えが当然となっています。
また、ターミナルケアについても、緩和ケアという名前が浸透し、
病院(特にホスピス病棟)で人生の最期を迎えるということは、
決してその患者さんの人生を否定するものではなくなっています。
治療の選択(緩和ケアも含めて)は、
あくまでも個人の気持ちや意思を大切にしてされるのでしょう。

人生の最期を迎え方が大きな変遷を遂げている一方で、
お産はどうでしょう?

大切な家族の誕生を迎えるために、
なにが一番大切なのでしょう?

大切なのは、お産をする産婦さんの気持ちや意思だけでいいのでしょうか?

ボクが前にいた病院は、
ボクが就職した頃、本当に「ボロボロ」という形容詞がぴったりの病院でした。
大正時代の建物を戦後むりやり病院にした、「レトロ感」溢れるものでした。

 「こんなボロボロの病院でお産をしてもらうのは申し訳ない。」

働くドクター自身がそう思うのですから相当なものでした。
しかしながら、それでもその病院には産婦さんが集まり、
年間200人以上の元気な赤ちゃんを産んでくれていました。

数年後、病院はすっかり建て直されました。
また、新しい病院をデザインするにあたっては、
なるべく病院っぽさを感じないようなことにも気をつけました。
分娩室には大きなソファーを置いたり、絵を飾ったり。
ピカピカの病院になり、お産の数も倍以上になりました。
ということは、病院がオンボロであることが、
たしかにその病院を「選ばない理由」にはなっていたのでしょう。
しかしながら、オンボロだった時代のあの病院でお産をされた人々は、
お産の場所に何を求めていたのでしょうか?

先日、ナースステーションに一冊のファイルがありました。
お産を終えた産婦さんが書いたアンケートでした。
ぺらぺらとめくっていくと、いろんなことが書かれています。

お産が終わった方々のアンケートなので、
たいていは無事に自分がお産を終えてよかった、
皆さんのおかげです、という内容がほとんどです。
しかしながら、そんな中で、思ったよりも多かった言葉がありました。

「お産の時、先生や助産師さんたちがたくさんいてくれて安心でした。」
「帝王切開は怖かったけど、手術室では安心して受けることができました。」
などなど、

それは『安心』という言葉でした。

お母さんが健康で、安全に、元気な赤ちゃんを産むという、お産の最終目的に関して、
大病院は実に明快でわかりやすいプロデュースで答えていることに気づきました。

たくさんのマンパワー、産婦人科のみならず、
必要に応じて対応する内科や外科のスタッフ、そして、もちろん小児科のスタッフ。
手術室などの最新の設備、質素だけど広い病室、贅沢すぎない?病院食、
それに、他の施設に比べて安い分娩費用も魅力でしょう。

安全なお産に必要なものって実はそんなに難しくないと思いました。
ただ、それには、多くの人が関わるので、なによりもチームワークが重要になると思います。

大病院で産むということは、本当に大切なことを裏切らないお産の形であって、
けっして何かを諦めてお産をするというのではないのです。

これからも、この大病院を選んでくれた産婦さんに、
質の高い、安心な医療を提供していきたいと思います。

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強行突破したんです [妊娠]

妊娠37週の妊婦さんが、初めてボクの外来に回ってきました。

年齢も若く、外見も幼さが隠せません。
カラーコンタクトをしている、「イマドキ」の女の子といった様子でした。

 「はじめまして、こんにちは。」
まずは挨拶をします。
すこし待ち時間がずれ込んで、長く待っていたせいなのか、
すこしご機嫌が斜めみたいです。

 「赤ちゃん、よく動いていますか?」
「はい・・。」
 「なにか、変わったことありましたか?」
「・・・・。」

どうやら無口な方のようです。

いつものように、妊婦検診を始めます。

前回(初診時)の妊娠35週時のカルテによると、
妊娠7ヶ月まで、「未受診」だったようです。
未婚で、「入籍予定なし」と記載されています。

近くの産科施設を受診していて、
助産制度という、福祉制度で出産するためうちの病院にやってきました。
(紹介状はありませんでした。)
助産制度は、京都市が指定した産科施設でしか受けることができません。
うちの病院は、全体の1割以上がこういった福祉を利用する産婦さんでもあります。

まずは、超音波で胎児を調べます。
ベッドに横たわってみると・・・。

足が恐ろしく、浮腫んでいました。
足首が完全になくなっており、
太ももくらいの太さです。
押さえると、べっこり、凹みます。

 「この足、どうしたの?」
「先週くらいからです。 よく歩いてたからかな、と思って・・・。」

2週間前から7キロも体重が増えています。

 「めちゃめちゃ歩いたんですか?」
「いえ、一日、1時間半くらいです。」
 「なにか塩分のきつい食事しました?外食が続いたとか?」
「いえ、べつに。 家族と同じものです。」

「でも、グレープフルーツジュースにはまってました。」
 「どれくらい飲んだんですか?」
「どれくらいって、わかりません。」
 「紙パックで何個、とかあるでしょう?」
なかなかどれくらい飲んだのか教えてもらえません。

「っていうか、常に、飲んでるってカンジでした。」

いやいや、グレープフルーツだけではそこまで浮腫まないでしょう。

胎児は、ノンストレステストでも超音波検査でも問題ないようです。
内診では、歩いているだけあって、すこし子宮口が軟らかくなっています。
ただ、血圧が高くなっていました。

妊娠高血圧症の軽症です。

まずは入院してしばらく管理することにしました。
安静にするだけでも、浮腫は治まってくるはずです。

「入院とかしたら、助産制度は使えないって聞いたんですが。」

たしかに、助産制度は分娩するときの福祉制度なので、
病気で入院した場合は対象にはなりません。
健康保険になります。
若いのに、しっかりしてるな、と思いました。

次の日に入院してもらうことにしました。
入院すると、
外来の時より、ずっと余裕を持っていろんな話を聞くこともできます。

弟の野球の試合や、妹の運動会があって、
それと自分の出産予定日が重なっているので、
少しでも早く生みたくて、
無理して歩き回っていたそうです。

グレープフルーツは、結局どれくらい飲んだのか教えてもらえませんでしたが、
入院ベッドの横のテーブルに、
500ミリリットルの、グレープフルーツジュースがストロー差しておいてありました。

お母さんが面会に来て、おっしゃるには、
家族のために買っておいた食パン2日分を、
お母さんが出かけて帰ってきたら、全部食べていたそうです。
聞いてみたら、
自分でも気付かない間に食べていたと言います。
摂食障害の既往はないとのことですが、
なにかとストレスがたまっているようでもありました。

浮腫の原因は、食事かもしれません。

 「まずは、病院で出された食事のみを食べるようにしてくださいね。」
摂取カロリーと塩分を適正に維持することが大切だと思いました。

入院の効果はあったようです。

一日1キロずつ、みるみる体重は減っていきました。
6キロほど減った時点で、
血圧は依然として高いままです。
浮腫はかなりなくなりました。
胎児モニターは異常ありませんでしたが、
超音波で、胎児の羊水がほとんどなくなっていました。

母体の水分が抜けて、羊水が減るなんて
聞いたことがありませんが。

妊娠38週に入っていて、
妊娠高血圧症でもあるため
誘発することにしました。
(そろそろ、妹ちゃんの運動会です。)

そして、
無事にお産が終わりました。
2700グラムくらいの小さめの赤ちゃんでした。

お産が終わり、
部屋に戻ったころ、
一人の若い男性が面会に来ていました。
作業着を着たままで、現場から直接駆けつけたようです。

助産師さんによると、
赤ちゃんのお父さんだそうです。
赤ちゃんを抱っこして、
しばらくすると帰って行きました。

お父さんの両親が、二人の結婚を猛反対していて、
赤ちゃんも中絶するように言われていたのだそうです。

「どうしても生みたくて、『強行突破』したんです。」

近いうちに、二人で入籍できるように考えているそうです。
生まれてすぐに着る赤ちゃんの服は、
お父さんが全部買って揃えてくれていたそうです。

中絶ができない、妊娠7ヶ月まで産科施設を受診しなかったのも、
いろいろ悩んだり、踏ん張ったりした結果なのでしょう。

もちろん、妊娠初期に受診しなかったことは、褒められることではありません。
しかしながら、
この妊婦さんには、
本当に必要な時間だったのかもしれません。
食べまくったり、飲みまくったり、も、
彼女の孤独を癒すための行動だったのでしょう。

妊娠しているのに、結婚を猛反対する親が、今の時代にいること自体、
すこし驚きましたが、
彼女の周囲のどれだけの人が、
親身になって、彼女の話を聞いてあげたのでしょう。

社会問題にもなっている、未受診妊産婦の原因のひとつに、
「社会的孤立」があります。
周囲に相談する人がいなくて、結果として受診するきっかけを失うのです。

彼女は、この社会的孤立に向かって、
強行突破という手段で立ち向かったのかもしれません。

できることなら、
この生まれた赤ちゃんの笑顔で、
お父さんの両親の心を和らげ、
一日も早く、家族が一緒に暮らせますように。

そして、強行突破して生んだお母さんのパワーで、
がんばって、赤ちゃんを大切に育ててください。

無事、生むことができて、
おめでとう!


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笑顔のなかった妊婦さん [妊娠]

2年ほど前のことです。
(前にいた病院でのことです)

一人の妊婦さんが救急搬送で入院になりました。

初産婦さんで、妊娠8か月目で、前期破水したのです。
入院して調べてみると、すでに強い感染を示す兆候もあり、陣痛も始まっていました。

緊張している妊婦さんとご家族に状況を説明したあと、
ボクは帝王切開で赤ちゃんを娩出しました。

赤ちゃんは1400グラムほどの元気な女の子でした。
NICUで順調に育ち、そのうち無事に退院されていきました。

母体搬送による入院、緊急帝王切開、赤ちゃんはNICUに数週間入院して、
そして、無事退院。

前の病院では、こんな感じの経過の妊婦さんや赤ちゃんが一年に何人かいました。
もちろん、この方の名前は覚えていたのですが、
かといって、強烈な記憶が残っていたわけでもありませんでした。
あえていうなら、「目の大きな、可愛らしい、おとなしい印象の妊婦さん」でした。
それほど強烈な印象が残らなかったのも、
「順調にいった症例」であった、ということでもあるのでしょう。

そして、ちょうど半年前、この方が、ボクがこの病院に異動する直前に外来受診されました。
「尿妊娠反応が陽性」、と問診用紙に記入してありました。

 「2人目、妊娠したんですね。」

診察したら、妊娠初期で、順調です。

「先生、辞められるんですか?」
 「そうなんです。ごめんね。」
「どこの病院に移られるんですか?」
 「〇〇区の病院です。」
 
この方のお住まいは今の病院にほど近いところでした。
前回のときは、同じ区内の診療所から救急搬送されたのでした。

「その病院に行ったら、先生に診てもらえますか?」
 「もちろん、断る理由はありませんよ。」

その後、2回ほど診察して、出産予定日も決まり、
ボクは、この方の紹介状を、次の病院の「自分」宛に書きました。

新しい病院で3週間ほどしたとき、この方が「初診患者」として、
ボクが書いた、ボク宛の紹介状をもって受診されました。

今回の妊娠の経過は、その後もまずまず順調でした。

「先生、大丈夫ですか?」
 「順調ですよ。 今回の診察では、ね。 わはは。」

前のこともあるので、受診のたびごとにかなり心配されています。
一回一回の診察で、ボクから何を言われるか、極限の不安を感じているようでした。

心配されている患者さんに対しては、
ひとつひとつ丁寧に診察所見や検査結果を説明して、
次の受診までの注意事項などを忘れずに伝えることが大切です。

妊娠30週に入ったころの診察では、

「(この妊娠週数は)未知の領域です。 新記録なんです!」
 「ほんとや、どんどん記録更新していくよ! わはは。」

こんな冗談を言える人だったんや、と妙に感心しました。
ただ、この方は、なぜか顔は笑っていませんでした。
もしかしたら、それを心配しているボクの心を読み取っているのか、
安心させようと冗談を言っただけだったのでしょうか?

そして、ようやく、妊娠36週に入りました。
来週の予定帝王切開まで、あと10日という、最後の妊婦健診でした。

診察の順番が来て、診察室に入って来ると同時に見せてくれたのは、
満面の笑みでした。

もともと、可愛らしい感じの方でしたが、
この時の笑顔は、本当に輝いていました。

けっして大げさではありません。
この人は、こんな笑顔で笑えるんだ、と妙に感心しました。

 「うれしいですか?」
「はいっ!」
 「赤ちゃんも順調だし、来週の帝王切開までもう少し頑張りましょう。」
「はいっ!」
 「いい笑顔ですね。そんなにニコニコしてたら、こっちもうれしくなりますね。」
「やっと!って感じです。」

その診察の、2、3日後、夜中に携帯が鳴りました。
今の病院では、当直体制がしっかりしているので、
よほどのことがない限り、携帯電話が鳴りません。
電話は、若い先生からでした。

「先生、来週の帝王切開の予定の、先生の患者さんですが・・・、」
 「うん、どうしたの?」
「さっき、受診されたんですが、破水してました。」
 「えっ??」

36週5日の夜でした。

陣痛はないということだったので、
翌朝、診察することにしました。

翌朝の朝一番で、病棟で診察をしました。
念のために子宮収縮抑制剤を使用していたので、収縮はありませんでした。
しかしながら、少し子宮口は開いてきていました。

悩むところです。

このまま、どんどん開いてきていれば、それはそれで
経腟分娩も選択肢に入ってきます。

でも、この方は、安全第一で生みたいというので、経腟分娩ではなくて、
予定通り、帝王切開での出産を希望されました。

 「では、帝王切開の準備をします。」

緊急帝王切開の扱いになるので、手術室や麻酔科、小児科とも連絡が必要です。

「あの・・・。 明日まで待ってもらえませんか?」
 「え?」
「どうしても、37週に入ってから産んであげたいんです。だめそうですか?」

今日は36週6日ですが、赤ちゃんには大きな問題はないでしょう
 「週数にこだわる時期でもないんですが・・・。」

最後のわがままを聞いてほしい、と言わんばかりのまじめな表情でした。

前回が予定日より3か月も早い前期破水であったこともあり、
きっと、お子さんや、家族などに対する申し訳ない気持ちや、
自分を責める気持ちなど、たくさん持っていたのではないでしょうか?
そして、なんとか今回の妊娠こそは、満期まで持たせたかったのでしょう。

ボクは、数日前に見た、この方の「満面の笑み」を思い出しました。
今日、ボクが妊娠36週6日で帝王切開をしてしまったとしたら、
ボクは、もう、あの笑顔を見ることができないかもしれない・・・。

 「わかりました。」

いくつかのリスクを説明したうえで、
明日まで、子宮収縮抑制剤を継続することにしました。
その点滴は、残量を確認すると、早朝に終了する予定でした。

おきて破りであることは十分承知しています。

しかしながら、思い起こせば、
最初の救急搬送で出会った時から、
ボクはこの方の、本当の笑顔を一度も見ていなかったのです。

この方の、
「妊娠=不安」という図式を、
ボクは「元気な赤ちゃんの産声」だけで打ち砕くことができないかもしれないと思いました。
この方にとっては、妊娠37週という、大切な目標があり、
これを達成しないといけなかったのでしょう。

そして、翌日、朝一番に、予定の「緊急手術」を行い、無事に出産を終了しました。
今度は、元気な男の子でした。

 「元気に泣いてくれて、よかった。」

元気な命と、素敵な笑顔は、つねにセットでないといけないのだと思いました。


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りっぱなお父さん [妊娠]

先日、ひとりの患者さんが受診されました。
診察待ちをしている方の名前は、診察室にいて電子カルテの一覧で判るのですが、
ボクはこの方の名前を見た瞬間に思い出していました。
この方のことは、かつてこのブログで書いたものの、
公開することができず、ずっと「下書き」のままにしていました。

それは、2年前のことです。
その妊婦さんは救急搬送で紹介されてきました。
切迫早産でした。
しかも、妊娠22週0日で、双胎でした。
その妊婦さんが入院中している病院の部長先生からじきじきに相談の電話があり、
数日前から子宮口が開いてきており、何とか押さえ込もうと治療しているけれど、
感染と陣痛が始まってすでに厳しい状況とのことです。

「もう、どんどん陣痛が強くなって、今にも生まれそうです。」 
 「厳しいですね。 NICUは受け入れ大丈夫です。 すぐに送ってください。」

小児科にも連絡し、バタバタと準備が始まりました。
救急車で搬送された、妊婦さんは陣痛でかなり痛がっています。
ご主人も付き添われ、ずっと奥さんの手を握っています。

診察すると、胎胞が膣の中に出てきており、赤ちゃんの頭はすでに子宮口の外側まで下がって来ています。
子宮収縮抑制剤を増量し、何とか時間稼ぎをする一方で、この妊婦さんとご主人にこの厳しい状況を説明しました。

 「小児科医が全力で蘇生しますが、それで22週では多くの赤ちゃんは亡くなります。 生命を維持できたとしても、後遺症が残る可能性が高く、厳しいです。」

奥さんは、陣痛に耐えながら、不安で泣いています。
ご主人はすでに覚悟ができている様子でした。

「はい。 前の病院の先生から十分に説明を聞いています。 なんとか、この子たちをお願いします。」

そして、
「二人で頑張って育てていくんやぞっ! ええかっ?」

と、奥さんの手を握りながら、大きな声で、力強く励ましました。
泣きながら叫んだといってもいいくらいです。
奥さんは、痛みのせいか、うなづくだけでした。

そして、2時間ほどして子宮口が全開してしまいました。
もう抑えることはできません。
小児科に連絡し、子宮収縮抑制剤を止め、いよいよお産です。
破水した瞬間につるつると最初の赤ちゃんが生まれました。
臍帯を切って、ボクは小児科の先生に赤ちゃんを預けました。

待ち構えていた小児科の先生の蘇生処置は、早い早い。
ものの数秒で気管挿管がおわり、あっという間にNICUへ連れて行きました。

そして、もうひとりの赤ちゃんも同じように生まれ、
小児科の先生があっという間にNICUへ連れて行きました。

赤ちゃんたちは、当初、ボクたちがイメージしていたい以上に調子がよく、なんとかすこしでも後遺症がないよう祈るばかりでした。
そして、お母さんとお父さんは二人で毎日、何回もNICUに面会に行かれました。
いつも、ご主人が、ふらふらしている奥さんを支えるように寄り添っておられたのが印象的でした。

 「赤ちゃんたち、頑張って!」
ボクは祈りました。
お母さんもお父さん(ご主人)も同じ気持ちだったと思います。

ところが、3日目になって、
順調だった赤ちゃんの状態は二人ともほぼ同時に急変し、
あっという間に亡くなってしまいました。
小児科の先生たちも全ての精力を注いでくれましたが。
しかし、もともと小さな赤ちゃんです。
小さすぎました。

赤ちゃんたちが亡くなってすこしして、ボクはお母さんとお父さんに会いに部屋を訪れました。
二人とも、赤ちゃんのことを心配して、
生まれてからずっと、休まる間もなく、くたくたに疲れておられました。

ボクは、亡くなった赤ちゃんたちに手を合わせ、お別れをさせてもらっていました。

「先生・・・。」
 「はい。」
ご主人が言葉をひとつひとつ選ぶように話されました。

「・・・この病院に運ばれてきて、すぐにお産になり、この子を取り上げてくれました。」
「・・・小児科の先生にも頑張っていただき、感謝しています。」

そして、

「・・・ほんの3日間だけでしたが、この子たちに人生を授けてくれて、ありがとうございました。」
「・・・その間、私たちは家族でいられました・・・」

最後の方は、言葉になりません。
ボクも涙がとまりませんでした。

 「そうですね。 本当に、立派なお父さんとお母さんでしたよ。」

そういって、頭を下げるのが精いっぱいでした。

この方はもともとハイリスクな妊婦であったとはいえ、あまりにも突然の早産です。
この悲しいお産を受け入れることは難しいと思います。
それなのに、このお父さんは、奥さんを支え、短い人生であった我が子たちに代わって、ボクにありがとうと言ってくれました。

短い命の赤ちゃんでしたが、この子たちは、このお父さんの子で幸せだったに違いないと感じました。
そして、もし元気で生まれてきてくれていたのなら、もっともっと幸せだったと思うと、
産婦人科医として、人間として、父として、ボクは残念でなりませんでした。
悲しいお産でしたが、ボクは、最高の父親の姿を見ました。
そして、それゆえに、残酷ささえ感じました。

2年の歳月が経ち、
このたび、
2回目の妊娠でうちの病院に来られました。

最初は本人さんが一人で診察室に入ってこられました。

 「こんにちは。お久しぶりですね。妊娠されましたか?」
ボクは、問診表を見ながら、聞きました。

「はい。 先生、覚えておられますか?」
 「もちろん。名前を見た瞬間に判りましたよ。」
電子カルテの画面をさしながら言いました。
診察が終わり、妊娠初期で、順調な様子です。
 「今日、旦那さんは?」
「待合室で待っています。」

2年ぶりに会ったご主人は、あのときと同じように、
優しそうな「お父さん」に見えました。
不安そうな面持ちで診察室に入ってこられましたが、
ボクの顔を見た瞬間に、
ホッとしたような、しかし、今にも泣き出しそうな、
表現するのが難しい表情でした。

現在の妊娠が順調であること、
前回の妊娠が大変であったこと、
そのうえで、今回の妊娠での見通しや注意すべき点をいくつか話しました。

 「頑張って、行きましょう。」
「・・・はい。」

この、最高の「りっぱなお父さん」に再び会うことができ、
ボクは気が引き締まる思いを感じました。

そして、ボクは、あの言葉を思い出しました。

「全ての命には必ず、意味があります。
     きっと、なにかを教えてくれます。」

2年前に亡くなった、赤ちゃんたちのご冥福を祈るとともに、
きっと、この新しい命が、
たくさんのことをボクに教えてくれることを確信しました。


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