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次男の背中 [子育て]

前回の更新から、
すでに1年が経過しています。
あっという間の1年でした。
北海道で高校生活を送っていた次男は、高校3年になってしばらくして、
学校に行けなくなりました。
それまでは、成績もそこそこ優秀で、このまま頑張れば、
学校推薦で、それなりの大学にも入れただろうと思います。
しかし、もともと不安の強い彼は、勉強をどれだけしても、安心できず、
体調を崩して帯状疱疹が出たこともありました。
学校では、すべての教科の先生にしつこいくらいの質問をしていたようです。
それが、ある先生のご機嫌を損ねたのでしょう。
「そんなことくらい、自分で考えろ!
そういわれた彼は、それ以降、学校に行けなくなりました。
正確には、教室に入れなくなったのです。
何とか、保健室登校で頑張り、卒業試験も保健室で受験させてもらい、
いくつかの条件をクリアすることで
ギリギリの3月31日に卒業させてもらうことができました。
卒業判定まで、どんなに悪天候でも、片道30分ほどの距離を歩いて登校したのは、彼の、何とか卒業したい、という思いの強さを示していました。
支えてくださった担任の先生、保健室の先生、学年主任の先生には本当に感謝します。
ただ、
卒業が決まるまで、ボクは本当に生きた心地がしませんでした。
毎朝、ラインで生存確認をするのはもちろん、電話したり、下宿の大家さんに起きてるかどうか(生きているかどうか)、部屋まで見に行ってもらったこともありました。
これ以上、通学は必要がないといわれた2月の初め、ボクは下宿を引き払いに北海道まで行きました。
マイナス10度の極寒の時期でした。
たった3年間の生活でしたが、下宿には、たっぷりの教科書や参考書、マンガもあって、引っ越しに3日間かかりました。
その中の半日を使って、近くの湖に、ワカサギ釣りにも出かけました。
せめてもの思い出作りでした。

今は、予備校で、毎日、どっぷり勉強漬けの毎日です。
次の春か、どうかわかりませんが、
彼が無事に大学に合格できたとき、
お世話になった先生たち、下宿の大家さん家族、
そして、彼のお気に入りだった喫茶店のお母さんにも、
笑顔であいさつに行くことができたらいいなと思います。

小中学生の半分くらいを引きこもりで過ごした彼を、
普通の予備校生になるまでに育ててくれた、
学校や寮の先生をはじめ、あの北の大地の町のみなさんに感謝するばかりです。

京都で診察をしながら、
ボクは、
ずっと心のどこかで、次男のことを考えていたので、
いまだに、
電子カルテの入力ボタンをクリックする瞬間や、
胎児超音波検査で、胎児の顔を映し出しているときなどに、
あの町の風景が脳裏をかすめることがあります。

このフラッシュバックが収まるころには、
次の心配ごとができているかもしれませんが、
その分、次男が少しずつでも成長してくれていると信じて、
笑顔で過ごしたいと思います。

毎朝、自転車で出かける次男の背中を見ながら、
ボロボロになってでも、無事に京都に帰ってきてくれたことを感謝しています。




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次男が帰ってきた [子育て]

長い長い不登校を乗り越え、
この3月、次男は無事に中学を卒業しました。
卒業式では、
一人ひとり、校長先生から卒業証書を手渡していただくのですが、
合計、1年ちょっとしか行ってないので申し訳ない気持ちとありがたい気持ちが入り混じった、複雑な気持ちで眺めていました。
式の最後に卒業生が、父兄に向かって合唱を聞かせてくれたのですが、
次男は、自分で志願した指揮者の大役を見事に果たしました。
卒業生の歌声は、思春期独特の若々しい音色で、
畳みかけるように、流れるように、美しかったです。
もちろん、この卒業生の中には、
ボクが出産時に担当した子供たちが、何人もいて、その子たちの歌声もあるかと思うと、
自然と涙がこぼれてきました。
(15年前も、お産の立ち合い、よく頑張ったな、と。)
そんな、ボクにとって宝物のような歌声を、
次男が、指揮者として一つにまとめてくれているのです。
親のボクだから許して欲しいのですが、
この卒業式で、次男が、申し訳ないけど、一番、カッコよかったと思いました。

そんな次男が、
自ら選んだ高校は、
北海道の男子校でした。
中学3年になって、いくつもの高校の入試説明会に参加しましたが、
彼が行きたいという高校がなかなか見つからず、
偏差値で選んでも、その高校の大学合格者数で選んでも、
食堂や自習室といった充実した設備でも、
次男が思い描くイメージと少しずつ違い、ぴったりくる高校が見つかりませんでした。
なんとなく、
ボクのクリニックからほど近い、
仏教系の男子校が、さしあたり第一志望となりました。

いろいろ情報を集める中で、
北海道の高校が目にとまりました。
ボクの高校の恩師に相談したときに話題に上がったことがあったからです。
名の通ったミッションスクールです。

 「とりあえず、説明だけでも聞いてみたら?」

次男は模試があったので、
奥さんがスケジュールを調整して、ひとりで参加しました。
「ここっ! すごくいいっ!」
説明会から帰ってきた奥さんが、大喜びでした。

「ほんまかぁ?」
と半信半疑の次男でしたが、
次の週の11月の連休を使って、
奥さんと二人で、実際に北海道まで見学に行きました。
(ちなみに、説明会は大阪でした。)
副校長先生が時間をとって面接もしてくださり、
校舎や寮のなかも丁寧に見学させてもらいました。

「お父さん、北海道、行かせてくれる?」
 「もちろん!」
「寂しくない?大丈夫?」
 「なんとか、頑張るわ。」

目標が見つかった次男のまっしぐらな姿は、
先だってのブログにも書いた通りでした。
無事に志望校に合格して、
結局、勉強を始めてから、たった11か月で合格してしまいました。

入学式の日は、ボクもクリニックを休診にして参加しました。
入学式の当日、雪が降っていて、しかも、前日には寮に入ってしまっていたので、
校門で家族写真は撮れませんでした。
すでに、前に向かって歩き始めているネクタイ姿の次男をみて、
 「しんどくなったら、また、休んでいいからな。」
心の中で思いながら、固い握手をして、北海道を後にしました。

京都に帰り、次の日から仕事をしていました。
昼の2時には電話があり、
「しんどい。帰りたい。」
と。
 「早っ!」
笑うしかありません。
数日に一回のペースで、夜になると電話がありました。
最初のうちは、足りないものを送ってほしい、と。
1週間して、半泣きの声で、
「自分がなぜ生まれてきて、どうして生きていかなければならないのかがわからくなった。」
と言い出す始末。
話し言葉に、標準語の占める割合が増えています。
 「仕方がない。」
次の週には、入ろうとしておるクラブの話、
そこにどうやら自分の居場所を見つけ始めた気配。
 「よし、よし。」
そして、次には、
「あと、1週間で帰れる。お鍋食べたいねん。」
 「オッケー!」

そして、昨日、次男は自分で飛行機に乗って帰ってきました。
寮での話、友人や先輩の話、先生の話、いろんなことを
空港まで迎えに行った奥さんに、
家に着くまで機関銃のように話しまくったそうです。
家で待っていたボクには、
2回も同じことを話すのはめんどくさいと話してくれませんでしたが、
「連休中に、服買いに行くの、付き合ってな。」
と、京都での休暇を有意義に過ごしたいようです。

たった4週間しか経っていないのに、
ずいぶん成長したように感じます。
今、彼を支えてくれている、先生や先輩、そして友達に感謝するばかりです。

 「健康で、笑顔でいてくれるだけで、十分。」

彼が、不登校であった長い長い時間、
そう自分に言い聞かせてきました。
ボクが笑顔でないと、彼が笑顔でいられなくなるからと、
自分がどうすれば、笑顔でいられるか、
自分への問いかけの日々でもありました。

子育ての難しさは、
その時点、その時点で、先の見えないことです。
産声を聞くまでは、不安だらけのお産のようです。
今更ながら、そう感じます。

令和という、新しい時代にかわり、
この連休がおわり、
彼をまた、北海道に向けて、送りだすとき、
きっと、また、
希望に満ちた、美しい笑顔を見せてくれるのでしょう。

感謝です。

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死にもの狂いでした [子育て]

子育てなんて、
たしかに、ある意味、「死にもの狂い」です。
子供が小さいときは、
なりふり構わず、授乳したり、おむつ交換したり、
いつ寝て、いつ起きてるか、わからないくらい。
でも、そんな中にも、子供が少しずつでも育ってくれて、
輝くような笑顔を見せてくれるから、
それをご褒美に頑張れるんです。

先日、ボクのクリニックに、
昔、お産を担当した方が受診されました。
順番が来て、
新患さんが記入する、問診用紙が机の上に置かれました。
その名前を見た瞬間、
 「あ!」
見覚えのある名前でした。
 「この方、ボクの患者さんだね!」
「先生がお産を担当されたそうです。」
問診を聞いた助産師さんが教えてくれました。
問診用紙を見ると、お産は「帝王切開」に〇がついていました。
 「そうやったわ。たしかに、帝王切開したわ。」

名前を呼ばれて診察室に入ってきた、その患者さんは、
ボクの顔をみて、にっこり。
以前と、全然変わらない、落ち着いたやさしい笑顔でした。
実に、15年ぶりの再会でした。

「先生、おひさしぶりです。」
 「ほんと、久しぶりですね。お子さんは元気にされていますか?」
「はい、元気です。もう高校生です。」
 「そうですか、よかったー。」

短い会話を交わしたのち、今日、本来受診した理由を聞いて、診察や検査をしました。
診察が終わって、
 「ボク、少しずつ、思い出してるんですが、妊娠と出産、ほんと大変でしたよね?」
「はい、死にもの狂いの15年間でした。」

着替えながら、カーテン越しではありましたが、
それでも、その方の、自信に満ちた笑顔を感じ取ることができました。

 「お義父さん、お元気ですか?」
と、

次にこう声をかけようと思ったのですが、
ボクはやめました。
というより、できませんでした。
そのとき、ボクは、
涙が流れてくるのを抑えることができず、
言葉にならなかったのです。

ネットでもコンプライアンスが厳しい昨今ですが、
もう15年も前なので、
その理由を、このブログに書くことを許して欲しいと思います。

たしか、
妊娠中期に入ったばかりのころでした。
妊婦健診で、いつもとは違う患者さんの雰囲気で、心配になりました。

 「どうしたんですか?」
「実は、主人が急に亡くなったんです。」
 「えーっ!」

ご主人さんが亡くなった理由はここで書くことはできませんが、
この方は、とにかく、今の自分の妊娠を、
無事に終えようとする、強い意志を感じました。

幸いにも、妊娠経過は順調で、無事に満期を迎えることができました。

そして、陣痛が始まり、入院になりました。
「よろしくお願いします。」
 「頑張りましょう!」
入院に付き添っていたのは、お義父さんでした。
背の高い、上品な紳士です。
少なからず、緊張されていました。
 「よろしくお願いします。」

ボクは、どんなときも、家族の希望があれば、
立ち合い出産を認めていました。
しかしながら、義父と産婦さんの二人だけの立ち合い出産は、
この時が、最初で最後でした。
陣痛が進む連れて、痛そうになっているのですが、
やはり、
ご主人やお母さんではないので、腰をさすってあげるとかはされずに、
ただ、陣痛室の椅子に腰かけて、黙って付き添っておられました。

夜中になり、分娩がなかなか進行しませんでした。
記憶があいまいなのですが、
たしか、回旋異常かなにかだったと思います。
破水していたのでしょうか?
時間をかければ、もしかしたら、自然分娩できたかもしれません。

十分時間をかけて陣痛を頑張った、その方と顔を見合わせて、
ほぼ、同時に、「帝王切開」という言葉が出たように覚えています。
その言葉で、深くうなづかれました。

陣痛ばかりではなく、
妊娠期間からずっと、この方は頑張ってこられました。
なによりも無事に赤ちゃんを産まないといけなかったのです。
帝王切開がすべてを解決するとは思いません。
でも、その時のボクは、
 「もう十分頑張りましたよね。」
という気持ちでした。

内診の時は、陣痛室の外へ、席を外されていたお義父さんに、
分娩の経過の問題、帝王切開が選択肢になること、
帝王切開の内容や危険性など、ご家族として説明をしました。
ずっと、冷静に、聞いておられ、
最後に、ひとこと、
「それで、お願いします。」
とだけおっしゃいました。
帝王切開が終わり、
無事に、元気に生まれた赤ちゃんと面会されているときも、
終始、無言でした。

その時のボクは、無事に赤ちゃんを取り上げないといけない、という、
産科医の使命があったので、ホッとした思いが一番だったかもしれません。
しかしながら、
15年の時が経った今、
この時の、お義父さんのお気持ちがどうだったかを、
考えると、胸が詰まります。

ボクには娘はいませんが、息子がいます。
自分も年齢を重ねてきたので、
今になってこそ、
理解できる気持ちもあります。

 「お義父さん、お元気ですか?」
なんて、気楽に尋ねることなんかできませんでした。
きっと、
お義父さんは、
息子を亡くした悲しみと、
お嫁さんの死にもの狂いで頑張る姿や孫の元気に育つ姿を見て、
安堵する気持ちとが入り混じり、
ボクがどんな言葉を並べ立てても陳腐になってしまうほど、
苦しい思いをされたんじゃないかと思いました。

たくさんのお産に立ち会い、
患者さんやご家族に寄り添い、向き合ってきたつもりでしたが、
15年経たないと理解できなかった、
ご家族の気持ちがありました。

せめてもの、ボクの救いは、
この方が再会したときに、
「死にもの狂いでした。」と過去形で語ってくれたことです。

これからも、産婦人科医として、この方にできることはまだまだたくさん残っています。
そして、ニコニコと、ずっと笑顔でいてほしいと思います。


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2年ぶりのサンタクロース [子育て]

メリークリスマス!

独立して丸3年が経ちました。
前ほど、いろんなことに憤りを感じることもなく、
ただ、ニコニコと毎日が過ぎていくばかりです。

昨年、「クリスマスの賞味期限が過ぎてしまった」という表現をした、次男は、
高校受験まっしぐらです。

朝、目覚まし時計で時間通りに起きてくると、
リビングのこたつに座り、
いきなり勉強を始めます。
ほいほい、と、朝ご飯を並べると、
問題集や参考書から目をそらすことなく食べ始め、
食べながら、勉強しています。

勉強しつつ、食べつつ、朝の情報番組に、なんでやねん、とツッコミを入れています。
 「どうかしてるぜ!」

ボク自身、
ご飯を食べながら勉強したことがないので、彼の勉強の本気度は、
おそらくボクの想像を超えているんだと思います。

そんな次男が、
「なあなあ、お父さん、まだサンタ間に合うか?」
というのです。
 「余裕やろ。」
それは、まだ12月の半ばのことでした。
「去年、お願いしてないから、ちょっと高いもんでもいいかな?」
 「ええんちゃう?」
「ウォークマン欲しいねん。音楽、聴きたいわ~。」」
 「頼んでみたら?」
もうすぐ高校生になるというのに、サンタの存在を信じていることも含め、
すべてが規格外の人間じゃないかと思えるようになっています。

クリスマスの朝、
冬休みだというのに、いつもの時間に起きてきて、
いつものように、リビングで朝ご飯待ちの時間で勉強しています。
 「おはよう。メリークリスマス!」
「メリクリ~」
こちらに顔向けることもなく、勉強しています。
 「サンタさん、どうやった?」
「来てたみたい。寝相が悪くて、ベッドの下に落ちてたけどな~。」
 「で?」
「で?って、それだけやん。」
勉強しながら、会話がそれ以上続きません。

あんまりうれしくないのかなと思い、
心配していたら、

「受験終わってから、いっぱい音楽入れるから、手伝ってな。」

ボクが思っている以上に、次男は大人になっていたんだなと思いました。
いつまでも、こういうふうでいて欲しい。
そう思うのは、もはや贅沢でしょうか?

今年も、すべての子供たちと大人たちに、
サンタクロースの夢と希望が届けられますように!




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線香花火 [子育て]

中学生の次男が学校に行かなくなって、
もうずいぶん時間が経ち、5回目の夏休みが来ました。

「長い長い夏休みやな。」と、無理せずに、
精神的にもストレスがないように穏やかに過ごす毎日です。

そんな彼が、昨日の昼間、
「花火したい。」
と言い出しました。
何年か前にもらった、子供用の花火のセットを出してきて、
今すぐやりたいと言うのです。
「明るいときにどんなふうに見えるか、見たいねん。」
 「なるほど、面白そう!」

彼が大好きな線香花火に、火をつけます。
水を張った小さなバケツの中で、
線香花火は、音を立てて、小さく、しかし、力強く、燃えていき、
最後は、ぽちょんと、水の中に落ちていきます。

パチパチという火花は、暗い夜ならどうなるだろうか、と想像を膨らませます。
煙の多さと、最後のぽちょんの音が面白くて、楽しかったです。
何本かして、納得した彼は、
「残りは夜に。」
と片付けます。

晩ご飯が終わって、ほっこりしていたら、
「さぁ、花火するで。」
と、虫よけスプレーを自分で吹き付け、準備を始めました。
ろうそくに火をつけて、
大きめの花火から順番に楽しみました。
そして、
やはり最後は、線香花火です。
一本あたり、数十秒くらいの線香花火ですが、
不思議なことに、毎回、火花の出かたが違うのです。
先にぶら下がる、赤い玉の大きさも形も少しずつ違うのです。
何本やっても、飽きることがありません。

そして、
パチパチとはじける火花を二人で見ながら、
あとボクは、何度、この線香花火を、次男と楽しむのかな、と
しみじみ思いました。

彼の、この長い夏休みが終わってしまうとしたら、
もちろん、
ボクは、それを望んでいるし、願っているのだけれども、
彼が、大人になって、
いつか、線香花火に興味がなくなってしまうかもしれないと思うと、
切ない気持ちになりました。

「残りは、お兄ちゃんが帰ってきたときに一緒にやるわ。」
と、彼は、線香花火を5本ばかり残して片付けました。
再来週、長男が、夏休みで下宿先から帰ってくるのを楽しみにしています。

夏だろうが、冬だろうが、
昼間だろうが、夜だろうが、
線香花火は、いつも同じじゃなくて、面白くて、きれいで、切ない。
みんなが思う線香花火は、夏の夜の美しさをいうのでしょうが、
それは、昼間のもうもうと煙を上げて、
小さいけど力強く、燃え盛る線香花火を知らないだけじゃないか。
明るいときにこそ、暗くなった夜の線香花火の美しさを想うことができるのじゃないか。
そして、
明るいからこそ、パチパチとはじける光の線を追うのじゃなくて、
ぽちょん、という、最後の音が聞こえてきたんじゃないか。

子育ても、面白くて、楽しくて、切ない。
うまくできている自信もありませんが、
さほど失敗したとも思っていません。
それに、答えは一つとは限りません。

次男が、笑顔でいてくれて、何よりも、健康でいてくれることに、
日々、感謝しています。
家族を思う気持ちを、優しく、わかりやすく、
教えてくれて、ありがとう。

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体罰は許せない [子育て]

体罰が原因で高校生が自殺したとされる報道がありますが、
どうしようもなく悲しい気持ちになります。
心からご冥福を申し上げます。

自分が取り上げた赤ちゃんたちが、大きくなって、学校に行き、
そこで、体罰を受けるなんて、
考えるだけでも悲しくなります。

でも、ボクの場合、
産婦人科医としてではなく、
何よりも、一人の人間として、残念で悲しい。

どうして、自殺した生徒を守ってやれなかったのか?
彼の「一人の人間としてのアイデンティティー」を
受け入れ、認め、抱きしめてあげることができなかったのか?
あまりにも短い人生です。

虐待のニュースでも、むなしく、悲しい気持ちになりますが、
ボクにとって、体罰のニュースがとても悲しいのは、
自分が受けた体罰を思い出してしまうからです。

ボクが小学4年生の時、
担任の先生から体罰を受けてました。
もちろん、自分だけではなくて、クラス全員です。
頬を叩くはもちろんのこと、
耳をちぎれそうなくらい引っ張ったり、
おしりを蹴られたり。
みんな泣いてました。

毎日放課後に、クラス全員で歌の練習が始まりました。
ある女子がみんなで歌を歌いたい、と言い出したのです。
合唱コンクールの練習でも何でもなく。
きっと、先生が喜ぶと思ったのでしょうか。
たいした時間ではないのですが、それに参加すると、
学習塾に遅刻します。
塾がある日には、走って家まで帰りました。
ある日、ボクは、塾に遅刻せずに行きたい、どうにかならないか?
と先生あてに日記で書いたことがありました。
先生が教室の前のデスクで順番にみんなの日記を順番に読んでいるのを
どきどきしながら見ていました。
自分のノートを先生が手に取り、読み始めました。
それを読んだ先生は、顔を真っ赤にして逆上しました。
パンッとボクのノートを机の上にたたきつけて、
ボクを睨みつけています。
そして、みんなの前に一人で立たされて、1時間以上叱られました。

「自分一人だけ、勉強して、それで賢くなれると思うのか?」
「おまえは子供じゃない、小さな大人だ、気持ち悪い。」 

それ以降、ことあるごとに、
塾で勉強していることで責められました。

ボクは、この担任の先生から教えてもらったのは
「人を憎む気持ち」だけでした。
毎日、夜になるとつらくて、くやしくて、泣いていたことを覚えています。

それから40年、ボクはどんなことがあっても、
この先生以上に、人を憎んだことはありません。

教育は簡単ではありません。
言葉だけでは教えることが難しい場面もあるでしょう。
しかし、
体罰が教えるものは、
悲しい気持ちや人を憎む気持ちでしかないと思います。

「言ってもわからんヤツはしばかんとわからん。」
関西ではこういう言い方もしますが、
1回しばいてわからんヤツは、100回しばいてもわからんのです。
99回目に、「なるほど!」って気づくと思いますか?

言ってもわからんとしたら、別の言い方で言うべきです。
それこそが上手な教え方だと思います。

体罰は、その子供の人格を否定するものです。
人格を否定することを前提にした教育は存在しません。

自分の悲しい過去の記憶から、
これだけは言いたい。

体罰は許せない。

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双子ちゃんたちが大集合! [子育て]

先日、うちの病院では双子の同窓会がありました。

それは、あるひとりの助産師さんの長年の夢でした。
ボクと同じ時期にうちの病院に就職した方です。

「いつか双子ちゃんだけの同窓会をしたい。」
うちの病院に就職したころからの彼女の熱い思いは消えることなく続いていたのです。

双子ちゃんは見ている分にはかわいいけれど、子育てとなると大変です。
授乳も大変、一人が風邪ひいたら、もう一人も風邪ひくし、それも、少しずつ時期をずらせて。
おんなじ様にかわいがって抱っこしないといけないし、順番をつけてもいけないし・・・。
そんな双子ちゃんの子育てには、同じ子育てを経験をした先輩がいて、苦労話を聞いてみるだけで、ホッとできたり、あるいは、こっそり手抜き?のアドバイスをもらったりできる場所が必要なのです。
あるお母さんは、同じ年頃の双子の子を持つお母さんよりは、数年年上の子育てをされたお母さんのアドバイスが欲しいとおっしゃってました。

そういった意味で、実際、双子の会は全国にたくさんあります。

もともと京都は全国でももっとも双子ちゃんが多い都道府県だそうですが、
うちの病院はNICUがあるため、そのなかでも特に双子ちゃんが多いのです。
うちの病院では、20人に一人が双子ちゃんのお母さんです。
子供の数にしたら、10人に一人です。

うちの病院で、双子ちゃんの同窓会がないことの方が不自然なのかもしれません。

全部で、40組くらいの家族が来られました。
その中には三つ子ちゃんも2組いました。上は7歳から、下は今年生まれたばかりの赤ちゃんです。
お父さんやお母さん、双子ちゃんの兄弟・姉妹も出席すると、総勢120人を軽く超えてしまいました。

あらかじめ、出席を取っていたので、混乱しないか、子供たちが怪我とかしないか、あれこれ想定して、準備をしました。
助産師さんたちは子供たちが遊ぶゲームなどを手作りで準備していました。

 「100人近くの子供があちこちで暴れたら大変やなぁ。 どうなることやら・・・。」

と、ボクも「会場整理のおっちゃん」として参加しました。

来る顔、ひとりひとり(いや、ふたりふたり??)を見ていると、妊婦健診やお産の時のことを思い出して、なんとなく胸が熱くなりました。
最初のころは、ジーンとして言葉が出ないのです。
半泣きになりそうな気分を押し殺していると、ボクが名前を思い出せなくて困っていると思ったのでしょうか、
「先生、〇〇です。 お久しぶりです。」
と自己紹介してくれるのです。

 「知ってますよ。 〇〇さん。 たしか、妊娠28週で救急車に乗って、△△医院から入院でしたよね? 御主人は今も競馬が趣味ですか?」

なんて話してしまうのです。
久しぶりなので顔と名前がちゃんとと一致するか心配でしたが、まったく大丈夫でした。
何人か分かりにくかったのですが、それは、お母さんが「キレイ」に変化していたからでした。

 「妊娠中、そんなに美人だったかな?」
なぁんていったら、「前はどうだったんや?」と怒られるかもしれないので言いませんでしたが、お母さんたちはそれぞれ、子育てにやつれているどころか、どちらかというと、光り輝いて見えました。

そして、なによりも感動したのは、こどもたちです。
みんな元気だから遊びに来てくれたのだろうけれど、何の混乱もなく、整然と、おりこうさんに遊んでいます。

生まれたときから、『ふたり』の彼らは、こんなにたくさんの人数があつまってざわざわしていても、ちゃんと自分の遊びの順番を守り、なかよく誰とでも楽しめるのでした。

 「なるほど。 ふたごちゃんのお母さんも子育ての達人なら、その子供たちの彼らは、集団生活の達人なんや。」

妙に感心しました。

予定の2時間はあっという間に過ぎ、楽しかった、楽しかった、と口々に皆さんは帰って行きました。

そして、一人一人の顔が小さくて認識できないほどの全員で撮った集合写真を見て、
会場整理のおっちゃんは、ただただ、ジーンと感動し続けていました。

 「それにしても、よう頑張ったなぁ。」

産婦人科医をしていて、最高に幸せでした。

開催してくれた助産師さん、集まってくれた皆さん、本当にありがとうございました。


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楽勝ですよ! [子育て]

先日、1ヶ月健診にひとりのお母さんが来られました。

  「どうですか?お元気ですか?おっぱいよく出てますか?」
「元気ですよ。 母乳も100%いけてます。 今回は楽勝ですよ!」
  「すごいですね~。」
「一人やったら、ね。  ははは・・。」

このお母さんは、一回目のお産が双子でした。かわいい女の子が二人でした。
そして、4年近くたって再びお産になったのですが、今回は男の子が「ひとり」でした。

赤ちゃんが一人でも二人でも、お産が不安なのは同じだと思います。
一回目でも二回目でも、やっぱり同じだと思います。
でも、子育てに関しては二回目以降がやっぱりラクだと思います。
少なくともボクはそう思っていました。

このことを家に帰って奥さんに話したら、
「そのお母さんは、きっと、何人産んでも、『楽勝~!!』ってできちゃう人なのかもよ。」

そういわれれば、そうかもしれません。
たぶん、一回目のお産も大変だったかもしれませんが、楽しんでやっておられたと思います。
(っていうか、上のお子さんたちもまだまだ子育て中なんですが。)
子育ての大変さ・壮絶さは、実際にしてみないとわからないのだと思います。

ただ者ではない、「凄み」すら漂わせているお母さんに出会うと、
お産というものが、長い子育ての単なる一瞬の通過点であることに改めて気づくのです。

産婦人科医として、その「一瞬」を大切にしたいものです。


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