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心の支え [産婦人科医]

新型コロナウイルスの影響で、
自粛期間、生活様式の変更、そして、気が緩んでしまったことが原因なのか、
今は、第3波の間真っ只中。
言葉にならないしんどさが続く毎日です。
気が付けば、
もう、あっという間に一年が終わろうとしています。
そんな重苦しい日々の中で、
ボクが産婦人科医として、
日々、患者さんに向かい合い、寄り添い、
生きていくことができるのは、いろんな人たちの支えがあるからです。
このブログを始めたころは、
たった一人で、戦っているかのような思い込みもありました。
若さを言い訳にしてはいけないと思いますが、今思うと、本当に恥ずかしく思います。
そんな中で、この一年は、
大切な、二人の先輩がこの世を去りました。
ひとりは、
ボクが大学院をでて、最初に努めた病院の、もと部長の先生です。
頑固な面もありますが、
とても知性的で、冷静で、やさしい先生でした。
NICUがあり、産婦人科常勤医がたった二人の小さな病院でしたが、
もともと先生が専門であった内分泌の患者さんや、婦人科癌の手術まで
なんでもこなされていました。
ボクが大学院生の時にアルバイトで手伝いを始めたころも、
何度か食事に連れて行ってくれました。
体調を崩されて、退職することになりましたが、
もう一人の常勤の先生も開業することになり、
ほぼ入れ替わりで、ボクがその病院に就職しました。
その後、10年間、ボクはその病院で、どっぷり周産期医療にのめりこむことになったのですが、
研究会や同門会でお会いすると、必ず、やさしく声をかけてくれました。
「忙しそうやね。体だけは、大切にしてね。あの病院は、体に悪いから。」
笑うに笑えない冗談でしたが、
そういった言葉に、先輩からの励ましと愛情を感じました。
あの先生のためにも(当時、一緒に働いていた、小児科の先生だけではなく)、
ボクは、あの病院で、ひとりでも多くの妊婦さんと赤ちゃんを助けないといけない、
そう、気を引き締めたものでした。
5年前に開業したとき、内覧会を開いたのですが、
その時も、
大きな白い胡蝶蘭を、自分で抱えて、お祝いに来てくれました。
すごくうれしかったです。
そして、
開業して2年ほどたった時の、年賀状に、
「先生のクリニックの、よくない噂をまったく聞きません。これはすごいことです。」
と、書き添えられていました。
ボクは、こうやって、ちゃんとボクのことを見てくれていて、
応援してくれている先輩がいることを、
心から感謝し、心が震え立ちました。
この先生がみておられた患者さんが、先生が亡くなった後、
数人、ボクのクリニックに治療を継続してこられています。
担当の先生が、突然退職されたので、治療が継続できずが調子が悪くなった、といいます。
患者さんと話すと、その先生との信頼関係が伝わってきます。
先生こそ、ずっと、ちゃんと、患者さんと向かい合っておられたなと気づかされます。
あの先生なら、どんな声をかけるかな、と思いつつ、
あの先生に負けないくらい、患者さんと向かいあっていかなければと思いました。

そして、
亡くなったもう一人の先生は、大学の先生です。
ボクが、
以前勤めていた病院で、部長になったころです。
その先生は、市内の公的病院の部長をされていて、
患者さんのことで、相談したことがありました。
孤軍奮闘で、毎日、いっぱいいっぱいだったこともあり、
規模の小さい病院では、少し荷が重いと感じた妊娠のケースでした。
そちらの病院で診てもらえませんか、と相談したのですが、
「先生、それ、順番が違うでしょ! それは、丸投げ、っていうもんですよ。そういう心配があるなら、まずは、あれとこれの検査をして、それで、そちらの病院では、管理が困難だから、って、言うもんでしょ! 天下の〇〇病院がそんなことしたらあかんでしょ!」
ぼろぼろに叱られました。

その患者さんを引き受けることはできる。
しかしながら、
ちゃんと、検査をして、患者さんも納得した形で紹介しないと、患者さんも納得しないし、結局、ボクの病院が患者さんから信用を失うことになると諭してくれました。
その後、
その先生は大学に戻り、
ボクも医会の仕事を手伝うことになり、
たくさんの研修会を一緒に運営しました。
うっかりミスだらけのボクの仕事に、いつも、
叱咤激励(叱咤>>激励ですが)で、支えてくれました。
50歳を過ぎて、自分のことを本当に心を込めて叱ってくれる先輩は貴重です。
数年前から体調を崩されて、医会にはほとんど顔を出さなくなりましたが、
亡くなる直前の、先生が学会長をされた学会は、かつてないほどの盛会でした。
それでも、
ボクに、あれとこれを手伝ってほしいから、頼むな、って自分でクリニックまで訪ねてこられました。
 「もちろんですよ。お手伝いは、それだけでいいんですか? なんでもいうて下さい。」
そして、
この春、ボクは、専門医制度の書類を整理する担当だったので、
先生から書類の記載で質問があると、直接、電話がありました。
「病気してて休んでた時期があるんやけど、更新できるかな?」
病気をされていたとしても、研修会の参加や論文、単位数は問題なかったので、
問題ありませんと伝えました。
でもそれが、先生との最後の会話でした。

11月になって、指導医更新の審査結果が中央から届いたとき、
先生のお名前はあったものの、その時はすでに、亡くなっていました。
 「ボクにとっては、その生き様そのものが、ボクの指導医かもな。」
初めて叱られた時を思い出しました。

令和2年という、
多分、みんなの心に残る、歴史的な一年であったと思いますが、
ボクにとっては、
大切な、敬愛する二人の先輩をなくした年でもあります。

一年の締めくくりで、
今年初めての更新でもあるのですが、
亡くなった、この二人の先生が、ボクにかけてくださった、
愛情のある言葉や思い出を、心の支えにして、
また、ボクは、産婦人科医として、頑張っていきたいです。

すべての、子供たちに、
素敵なサンタクロースのプレゼントが届き、
その笑顔で、
すべての大人たちが幸せな気持ちになりますように!

メリークリスマス!





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