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体罰は許せない [子育て]

体罰が原因で高校生が自殺したとされる報道がありますが、
どうしようもなく悲しい気持ちになります。
心からご冥福を申し上げます。

自分が取り上げた赤ちゃんたちが、大きくなって、学校に行き、
そこで、体罰を受けるなんて、
考えるだけでも悲しくなります。

でも、ボクの場合、
産婦人科医としてではなく、
何よりも、一人の人間として、残念で悲しい。

どうして、自殺した生徒を守ってやれなかったのか?
彼の「一人の人間としてのアイデンティティー」を
受け入れ、認め、抱きしめてあげることができなかったのか?
あまりにも短い人生です。

虐待のニュースでも、むなしく、悲しい気持ちになりますが、
ボクにとって、体罰のニュースがとても悲しいのは、
自分が受けた体罰を思い出してしまうからです。

ボクが小学4年生の時、
担任の先生から体罰を受けてました。
もちろん、自分だけではなくて、クラス全員です。
頬を叩くはもちろんのこと、
耳をちぎれそうなくらい引っ張ったり、
おしりを蹴られたり。
みんな泣いてました。

毎日放課後に、クラス全員で歌の練習が始まりました。
ある女子がみんなで歌を歌いたい、と言い出したのです。
合唱コンクールの練習でも何でもなく。
きっと、先生が喜ぶと思ったのでしょうか。
たいした時間ではないのですが、それに参加すると、
学習塾に遅刻します。
塾がある日には、走って家まで帰りました。
ある日、ボクは、塾に遅刻せずに行きたい、どうにかならないか?
と先生あてに日記で書いたことがありました。
先生が教室の前のデスクで順番にみんなの日記を順番に読んでいるのを
どきどきしながら見ていました。
自分のノートを先生が手に取り、読み始めました。
それを読んだ先生は、顔を真っ赤にして逆上しました。
パンッとボクのノートを机の上にたたきつけて、
ボクを睨みつけています。
そして、みんなの前に一人で立たされて、1時間以上叱られました。

「自分一人だけ、勉強して、それで賢くなれると思うのか?」
「おまえは子供じゃない、小さな大人だ、気持ち悪い。」 

それ以降、ことあるごとに、
塾で勉強していることで責められました。

ボクは、この担任の先生から教えてもらったのは
「人を憎む気持ち」だけでした。
毎日、夜になるとつらくて、くやしくて、泣いていたことを覚えています。

それから40年、ボクはどんなことがあっても、
この先生以上に、人を憎んだことはありません。

教育は簡単ではありません。
言葉だけでは教えることが難しい場面もあるでしょう。
しかし、
体罰が教えるものは、
悲しい気持ちや人を憎む気持ちでしかないと思います。

「言ってもわからんヤツはしばかんとわからん。」
関西ではこういう言い方もしますが、
1回しばいてわからんヤツは、100回しばいてもわからんのです。
99回目に、「なるほど!」って気づくと思いますか?

言ってもわからんとしたら、別の言い方で言うべきです。
それこそが上手な教え方だと思います。

体罰は、その子供の人格を否定するものです。
人格を否定することを前提にした教育は存在しません。

自分の悲しい過去の記憶から、
これだけは言いたい。

体罰は許せない。

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ちばおハム

私は同じ理由でいじめが許せません。
どうして同じ人間同士で痛めつけあうのかそれが理解できません。
うちの職場の同僚が、「どうして先生たち一緒にご飯食べるの?」と聞かれて、「いいでしょ、私たち仲がいいんだよ。こういう大人になりなね」と言っているのを見てとてもうれしく思いました。
小さい子どもたちが大きくなる時、こんな被害にあってほしくない、と思います。
by ちばおハム (2013-02-01 17:01) 

セレナーゼ

いろいろなブログを見ました。

医師でも一部の体罰を容認するのは賛成な人もいるようです。

内容は学生が卑怯な行為、危険行為、暴行などです。

曲がった心を正すという意味で体罰は必要だとありました。

また教師に対する暴力行為は痛みを与えて痛みを教えるべきだという意見もあります。


by セレナーゼ (2013-02-02 01:50) 

haru

ちばおハムさん、コメントありがとうございます。
体罰を「ある程度」容認する意見が多いのも事実ですね。
でも、どの程度容認するかは、先生の判断に任されているのでしょうか?
では、その判断基準はどうやって決定されるのでしょうか?
40年経っても、それでも決して忘れることのない日々。
どうしたらよいか、あの時、「言葉で」言ってほしかったです。
by haru (2013-02-03 12:53) 

haru

セレナーゼさん、コメントありがとうございます。
痛みを与えて痛みを教えるのとしたら、
教師は要らないと思います。
そもそも、だれがどのような判なで、人の心を「曲がった心」と決めつけるのでしょう。
先生の心は少しも曲がっていまいと言い切れますか?
暴力はあくまでも暴力で、教育でないはずです。
体の痛みがなくなると、心の傷もなくなるとでも思うのでしょうか?
きっと、体罰を与えた先生も、後悔しているはずです。
その後悔の気持ちを、今こそ、正当化するのではなく、反省してほしいです。
by haru (2013-02-03 13:02) 

nana

私も「体罰」という言葉自体理解できません。
人格否定はもちろん、それ以前に他者への肉体に危害を加える恐れがある行動が許されるはずもないと思います。
by nana (2013-02-06 11:27) 

ともたま

とまたまです。ご無沙汰しております。
先生、自分勝手な体罰って、昔は普通にありましたものね。
私の初めての教師からの罰は小学校1年生の時でした。
やってもいないのに自転車泥棒にさせられました。
前日一緒に遊んでいた障害を持った同級生が自転車を持ってきてしまったようで、私も一緒にやったと決め付けられたのです。
個室に軟禁され一人ぼっちにされ、たまに先生がくれば『いい加減認めなさい』と言われ続け、放課後になっても『やっていない』と言う僕に教師は、『このままだと帰させないし警察に行く』と脅され、泣きながらやってもいないのに『盗んだよな』と言われ頷いてしまいました。その後、自転車の持ち主のところへ行き謝らさせられました。本当に教師が憎く悔しくて涙が止まりませんでした。
でもその日の夜、仕事から帰って来た父に話たところ、親だから当たり前なのかも知れませんが信じてくれ、つぎの日学校に父は行き教師と話し合いをし、最後には謝ってきました。父ちゃんありがとう!って心の底から思いました。
しかしそれから先生に目を付けられ、ちょっとしたことでも殴られ蹴られ、無視しろとみんなに言ったり、本当に酷い仕打ちをされました。
でも中学2年の担任教師は、道を外しそうになった僕の真正面に立って教育してくれました。そんな教師に出会えた僕は幸せ者だと思います。同窓会の度にありがとうございましたと言ってます。

僕は命をかけて子供を守ります。でも学校生活で頼りにするのは教師ですよね。
教師って、己を犠牲にし子供の為に尽くすものだと思うんです。
両親が守り、大切に育てた命を預かる身なんだから、そうとうな覚悟を決めてなってるはずですよね。
たんなる職業、公務員だからって気持ちでいるやつは、今すぐ辞めなければ駄目です。
自殺した子とそのご両親の気持ち。考えただけで苦しくてたまりません。

僕は勤務先に見学に来た子供達に、『お友達と仲良く。優しく思いやりのある子になってね。先生の言うことをちゃんと守るんだよ』と最後にいいます…。
長文でまとまりがなくすみませんでした。
by ともたま (2013-02-06 20:29) 

haru

nanaさん、コメントありがとうございます。
体罰における、人格否定に根本的な問題があると思います。
人格を否定された子供たちが、傷ついているのは悲しいですね。
by haru (2013-02-07 15:01) 

haru

ともたまさん、コメントありがとうございます。
先生も、教師である前にひとりの人間であると思います。
ひとりの人間であるなら、正面から向かい合ってほしいと思います。
人格を尊重してもらっていると実感した上での体罰があるとしたら、受け入れることも可能かもしれませんが、体罰は悲しい気持ちや悔しい気持ちになるだけで、何一つ産みださいはずです。
ただ、こういった内容を自分のブログで書くこと自体、悲しい気持ちになりますね。
by haru (2013-02-07 15:08) 

お名前(必須)

体罰、私は幸運にもそのような先生に当たった事はありません。
力の弱い子供にとって対抗する術も知らない子供にとって、どれだけ怖くて傷つくことなのでしょう。

haru 先生の、「一度言ってわからなければ、体罰をするのではなく違う言い方をすればいい。」という言葉に感銘を受けました。

私も子供を育てて行く上で、一度言ってわからなければ、イライラして同じことをクドクド言い、その中で子供が傷つく言葉も言ってしまっている時もあります。
クドクド言い過ぎて、最後子供が泣けば、わかったと勘違いして怒りが収まることもあり、落ち着いて考えたら、可愛そうな事をした、と思いますが、また別の日にはクドクドが始まったりします。
私が未熟とは言え、可愛い我が子でもこうですから、先生が感情で動かないとは絶対に言い切れないと思います。

一度でわからなければ、別の言い方をすればいい。それが教育、を胸に置き、また頑張っていきます!

貴重なお話をありがとうございました!
by お名前(必須) (2013-02-13 23:19) 

みう

すいません、先ほどのコメントは、みうです(((((((・・;)
by みう (2013-02-13 23:22) 

セレナーゼ

私が小学生のときは同級生が他人をいじめていたり、授業中に卑怯行為があったときに体罰はありました。

たぶん、私のクラス担任が平成最後の体罰教師だったと思います。

まさか、バスケ部のマジメなキャプテンまで平手打ちや威圧的言動をする教師がいるのは許せませんね。
by セレナーゼ (2013-02-14 01:58) 

ちきーた

「体罰」と「暴力」は本来別の物ではないでしょうか。

体に痛みを覚えさせる行為にしろ、
耳から目から受け取る言葉にしろ、

使い方というものがある。

問題は、子供を「教育」する立場の人間が、
その立場と自分の器の大小、「教育」と「操作」を混同してしまいがちである、
ということだと思います。

一定の成果を上げて、周囲から認められた「先生」は、
おおむね自分への厳しさを貫ける人だと思いますが、
それと同等を他者にも強要してしまっては、
それまでだと思います。

自分は暴力を受けてもそれをバネにして、さらに飛躍できた。

そこまでは最悪良しとしても、
そこから先、
自分が指導する全ての人にたった一つ、
その方式のみを踏襲するだけでは…。

大きな掌の上で、相手が進むのを「待つ」ことが出来れば、
最高の指導者なんじゃないかなって思いました。

と、
言葉にして書けばすらすらと書ける(私の)「理想」、
実はとっても難しいことだと、子育てをしていて実感します。

子育ては自分育て。
自分の至らなさ、未熟さを、子育てを通じて嫌というほど思い知らされます。

そこでてっとり早く、強い語勢、態度で、
子供を静まらせてしまう事もあり、その度に落ち込みます。

本当、力で他者をねじ伏せるっていうのは、
一番手間と時間がかからないんですよね。

忙しくても、ほかにやることいっぱいあったとしても、
そこを踏ん張って、相手を待てる人間に、私もなりたい。

あと、
多少の暴力、理不尽な扱いに遭っても、
乗り越えられる人とそうでない人がいるのも事実だと思います。

他人に頼ったり、ストレスを上手に発散したり、逃げたり、
友達と共有して、勇気を持てたり、そういう強さ図太さを持っている人は、
どうにかやり過ごして、後に、そういうこともあったと、
笑い話にさえできるのですが、

自殺されたお子さんのように、
一人苦しみ、
SOSを上手に発散できない人間もいます。

私の父はもう70歳代ですが、
少年野球では上級生にバットで尻を理不尽に殴られたもんじゃ、
どこにいっても子供同士の社会の中でも常に、そういう理不尽があって、
揉まれ、痛みを覚え、逃れる知恵を絞りだし、
そういう経験をしたから、
大人になっても少々の事ではへこたれずに済んだ。

と、振り返って楽しそうに笑って話します。
しかし父自身は決して、他者を力でねじ伏せるようなタイプではありません。

本当に強い人間なんだと思います。

父みたいな人間を指導した暴力教師は、
勘違いすると思います。
どの生徒にも、通用するって。

教育者は、
そういう繊細で細やかな部分に、
ひっそりと、でもきちんと気づける能力がないといけない。

職業に貴賤はないというけれど、
私は、学校の先生は、そりゃ特別な職業だと思います。
「私だって人間なんだ。」
が許されない聖職だと思います。
by ちきーた (2013-02-14 12:03) 

haru

みうさん、コメントありがとうございます。
ボクも、若い先生やナースを指導する際に、
もちろん、体罰なんてしませんが、
あとで、「もっと別の言い方をすればよかった。」としばしば反省します。
反省する部分は、ちょっとした言い回し、とかではなくて、
もっと彼らのアイデンティティを大切にした言い方をすればよかった、ということです。
子供であってもそれは同じでしょう。
ただ、わかっていても、なかなかうまくいきません。
伝えることは難しいんです。

by haru (2013-02-19 15:38) 

haru

セレナーゼさん、コメントありがとうございます。
卑怯行為をしてしまう時点で、その子供は「弱い」のだと思います。
いじめ行為も、最終的には、いじめをしている人の「弱さ」なのでしょう。
弱かったり、何かを怖がっていたり、恐れているとしたら、
それを見守る大人として、
本当はそれを感じてあげるのが大切なのでしょうね。
ボクを叱りつけた先生は、ボクが卑怯だとも言いました。
その言葉に傷つきました。
それでも、ボクは頑張って勉強して、今、一人一人の命と向かい合うことができてよかったと思います。

by haru (2013-02-19 15:46) 

haru

ちきーたさん、コメントありがとうございます。
この度のニュースを見て、40年経っても自分の心の傷が全く癒えていないことに驚きました。
ボクにとって、体罰は、教育という名の単なる暴力でした。
その教育で、ボクの人生はとくに変化しなかったと思います。
だとしたら、体罰は不要です。

by haru (2013-02-19 16:06) 

セレナーゼ

ご多忙な中、返信ありがとうございます。

実は卑怯行為をする学生でよく先生に怒られたたかれている生徒にもいいところがありました。
1泊2日の学習施設での宿泊で、山登りがありました。前前日に雨だったのか、ある男子が坂道で転んでしまい・・後頭部から出血する大怪我があったのです。

そのときに一番に温かい声をかけたのがその生徒だったので皆が驚いたことがありました。

本当はその生徒は中身は悪い子ではなかったのです。

世の中では体罰よりも多いのが言葉の「暴言」だとおもいますよ。

私も病院の事務から製造業、ホテルといろいろ働いてまいりました。

一番悪いのはイライラしているから人に当たる人間ですね。

産婦人科なら「なぜ貴方は子供ができないのか?」とかでしょうか。

そういうのもある意味、受け取る側にとっては暴言に聞こえるのかもしれません。

相手のことを言う前に自分を振り返ることも人には大事だと思いますし、いいたくなりますよね。
by セレナーゼ (2013-02-21 00:55) 

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