大病院で産むということ [妊娠]
大学病院の研修医だったころ、
「毎日、お産に立ち会う」ことよりも、
「毎日、がんの患者さんとどう向き合うか」の方が大変でした。
同期の研修医仲間のひとりが、
「こんな本見つけてん。感動したわ。」
と、医局でほっこりしているときに、一冊の本を見せてくれました。
その本のタイトルは、『病院で死ぬということ』
アマゾンで調べてみると、著者は山崎彰郎さんというドクターでした
「一般の病院は、人が死んでゆくにふさわしい所だろうか。…。これは患者と理解し合い、その人の魂に聴診器をあてた医師の厳粛な記録。」という内容紹介が書かれています。
ボクはちょっとだけ見せてもらったのですが、内容はほとんど覚えていません。
その時、大学研修医として、必死に頑張っていたので、
ボク自身の気持ちとして、
病院(とくに大学病院で)で死ぬことを否定したくなかったのだと思います。
それから、20年が経ち、がん治療は大きく変遷しました。
なによりにも患者さんのQOL(生活の質)が最優先という考えが当然となっています。
また、ターミナルケアについても、緩和ケアという名前が浸透し、
病院(特にホスピス病棟)で人生の最期を迎えるということは、
決してその患者さんの人生を否定するものではなくなっています。
治療の選択(緩和ケアも含めて)は、
あくまでも個人の気持ちや意思を大切にしてされるのでしょう。
人生の最期を迎え方が大きな変遷を遂げている一方で、
お産はどうでしょう?
大切な家族の誕生を迎えるために、
なにが一番大切なのでしょう?
大切なのは、お産をする産婦さんの気持ちや意思だけでいいのでしょうか?
ボクが前にいた病院は、
ボクが就職した頃、本当に「ボロボロ」という形容詞がぴったりの病院でした。
大正時代の建物を戦後むりやり病院にした、「レトロ感」溢れるものでした。
「こんなボロボロの病院でお産をしてもらうのは申し訳ない。」
働くドクター自身がそう思うのですから相当なものでした。
しかしながら、それでもその病院には産婦さんが集まり、
年間200人以上の元気な赤ちゃんを産んでくれていました。
数年後、病院はすっかり建て直されました。
また、新しい病院をデザインするにあたっては、
なるべく病院っぽさを感じないようなことにも気をつけました。
分娩室には大きなソファーを置いたり、絵を飾ったり。
ピカピカの病院になり、お産の数も倍以上になりました。
ということは、病院がオンボロであることが、
たしかにその病院を「選ばない理由」にはなっていたのでしょう。
しかしながら、オンボロだった時代のあの病院でお産をされた人々は、
お産の場所に何を求めていたのでしょうか?
先日、ナースステーションに一冊のファイルがありました。
お産を終えた産婦さんが書いたアンケートでした。
ぺらぺらとめくっていくと、いろんなことが書かれています。
お産が終わった方々のアンケートなので、
たいていは無事に自分がお産を終えてよかった、
皆さんのおかげです、という内容がほとんどです。
しかしながら、そんな中で、思ったよりも多かった言葉がありました。
「お産の時、先生や助産師さんたちがたくさんいてくれて安心でした。」
「帝王切開は怖かったけど、手術室では安心して受けることができました。」
などなど、
それは『安心』という言葉でした。
お母さんが健康で、安全に、元気な赤ちゃんを産むという、お産の最終目的に関して、
大病院は実に明快でわかりやすいプロデュースで答えていることに気づきました。
たくさんのマンパワー、産婦人科のみならず、
必要に応じて対応する内科や外科のスタッフ、そして、もちろん小児科のスタッフ。
手術室などの最新の設備、質素だけど広い病室、贅沢すぎない?病院食、
それに、他の施設に比べて安い分娩費用も魅力でしょう。
安全なお産に必要なものって実はそんなに難しくないと思いました。
ただ、それには、多くの人が関わるので、なによりもチームワークが重要になると思います。
大病院で産むということは、本当に大切なことを裏切らないお産の形であって、
けっして何かを諦めてお産をするというのではないのです。
これからも、この大病院を選んでくれた産婦さんに、
質の高い、安心な医療を提供していきたいと思います。
「毎日、お産に立ち会う」ことよりも、
「毎日、がんの患者さんとどう向き合うか」の方が大変でした。
同期の研修医仲間のひとりが、
「こんな本見つけてん。感動したわ。」
と、医局でほっこりしているときに、一冊の本を見せてくれました。
その本のタイトルは、『病院で死ぬということ』
アマゾンで調べてみると、著者は山崎彰郎さんというドクターでした
「一般の病院は、人が死んでゆくにふさわしい所だろうか。…。これは患者と理解し合い、その人の魂に聴診器をあてた医師の厳粛な記録。」という内容紹介が書かれています。
ボクはちょっとだけ見せてもらったのですが、内容はほとんど覚えていません。
その時、大学研修医として、必死に頑張っていたので、
ボク自身の気持ちとして、
病院(とくに大学病院で)で死ぬことを否定したくなかったのだと思います。
それから、20年が経ち、がん治療は大きく変遷しました。
なによりにも患者さんのQOL(生活の質)が最優先という考えが当然となっています。
また、ターミナルケアについても、緩和ケアという名前が浸透し、
病院(特にホスピス病棟)で人生の最期を迎えるということは、
決してその患者さんの人生を否定するものではなくなっています。
治療の選択(緩和ケアも含めて)は、
あくまでも個人の気持ちや意思を大切にしてされるのでしょう。
人生の最期を迎え方が大きな変遷を遂げている一方で、
お産はどうでしょう?
大切な家族の誕生を迎えるために、
なにが一番大切なのでしょう?
大切なのは、お産をする産婦さんの気持ちや意思だけでいいのでしょうか?
ボクが前にいた病院は、
ボクが就職した頃、本当に「ボロボロ」という形容詞がぴったりの病院でした。
大正時代の建物を戦後むりやり病院にした、「レトロ感」溢れるものでした。
「こんなボロボロの病院でお産をしてもらうのは申し訳ない。」
働くドクター自身がそう思うのですから相当なものでした。
しかしながら、それでもその病院には産婦さんが集まり、
年間200人以上の元気な赤ちゃんを産んでくれていました。
数年後、病院はすっかり建て直されました。
また、新しい病院をデザインするにあたっては、
なるべく病院っぽさを感じないようなことにも気をつけました。
分娩室には大きなソファーを置いたり、絵を飾ったり。
ピカピカの病院になり、お産の数も倍以上になりました。
ということは、病院がオンボロであることが、
たしかにその病院を「選ばない理由」にはなっていたのでしょう。
しかしながら、オンボロだった時代のあの病院でお産をされた人々は、
お産の場所に何を求めていたのでしょうか?
先日、ナースステーションに一冊のファイルがありました。
お産を終えた産婦さんが書いたアンケートでした。
ぺらぺらとめくっていくと、いろんなことが書かれています。
お産が終わった方々のアンケートなので、
たいていは無事に自分がお産を終えてよかった、
皆さんのおかげです、という内容がほとんどです。
しかしながら、そんな中で、思ったよりも多かった言葉がありました。
「お産の時、先生や助産師さんたちがたくさんいてくれて安心でした。」
「帝王切開は怖かったけど、手術室では安心して受けることができました。」
などなど、
それは『安心』という言葉でした。
お母さんが健康で、安全に、元気な赤ちゃんを産むという、お産の最終目的に関して、
大病院は実に明快でわかりやすいプロデュースで答えていることに気づきました。
たくさんのマンパワー、産婦人科のみならず、
必要に応じて対応する内科や外科のスタッフ、そして、もちろん小児科のスタッフ。
手術室などの最新の設備、質素だけど広い病室、贅沢すぎない?病院食、
それに、他の施設に比べて安い分娩費用も魅力でしょう。
安全なお産に必要なものって実はそんなに難しくないと思いました。
ただ、それには、多くの人が関わるので、なによりもチームワークが重要になると思います。
大病院で産むということは、本当に大切なことを裏切らないお産の形であって、
けっして何かを諦めてお産をするというのではないのです。
これからも、この大病院を選んでくれた産婦さんに、
質の高い、安心な医療を提供していきたいと思います。
随分前から、ずっと拝見させて頂いていましたが、初めてコメントさせて頂きます。
私は長男を古い個人病院で出産し、その後、建て替えされてピカピカになった同じ産院で次男を出産し(生後1ヶ月で亡くなりましたが…)、長女を古い個人医院で出産しました。
同じ産院でも、待ち時間15分だった長男の時と比べて、次男の時は1時間は余裕でかかり、長い時は2時間待ち…
ハード面が綺麗だと、こんなにも変わるのか…と、驚きました!
食事はかなり質素で、朝昼晩とサバの塩焼きが出たりしましたが(笑)
私としては、次にお産をするなら、豪華なその病院よりも、長女を出産した個人医院かなと思っています。
小さくて古い産院ですが、先生はとても腰の低い方で、気の弱い私には、とても話しやすいです。
そして何より、出産の時に、助産師さんがすごくマメに覗いてくれて、1人きりでも全く不安なく産めました!(主人と長男が少し帰宅してる間に予想外にお産がすすみ出産となりました)
それまでの産院は、LDRに家族だけで置いておかれて、とても不安でした。
何かあったらナースコールして下さい…って言われても、コールするタイミングも分からないし、痛くてコールしても子宮口開いてなかったら、呼びつけておいて申し訳ないし…で、看護士さんにも気を使いながらの出産…
今思うと思うと、苦しい出産でした。
長女の出産の時は本当にラクに思えました。
リラックスしてお産に臨めるか否かで、随分苦しさが違うのですね~!
by うれは (2012-11-12 12:00)
うれはさん、コメントありがとうございます。
安心の形は、それぞれの施設によって様々であると思います。それぞれの施設で、産婦さんの不安やどうやって受け止めたらいいのか、努力する部分でもあります。最終的にはその安心の形が一番いいと思う場所でお産できれば、ハッピーなのだと思います。
今回、当たり前なのですが、豪華な食事や超音波写真のサービスで選ぶことよりも、「安心」を一番に考える産婦さんが、ボクが思う以上に多かったと気づかされました。
LDRで家族だけで過ごすことを希望される方が多いのも事実です。
(前の病院ではそうでした。)
しかしながら、産婦さんや家族にとってそれが「不安」であるという意見も十分に納得できました。
貴重な意見だと思います。ありがとうございます。
by haru (2012-11-14 07:43)
はじめまして。
私も、ずいぶん前から、拝見だけさせていただいておりました。
初めてコメントを書かせていただきます。
私は、規模の大きな個人の産婦人科病院と、
地域医療の拠点的な公立病院での出産経験があります。
どちらの病院でも、分娩台に乗って、足を広げて、
コウコウと照明の当たる中、会陰切開をして、産みました。
抗生物質の点滴もしたし、お産直後の母子分離もあった。
私はそれを、安心と感じていました。頼もしいと。ありがたいと。
母子別室も、寂しい気もしたけど、「安全の形」の一つであると、
許容することができました。
ところが少し前、
二人目のお子さんを助産院で産み、これこそ「本当の」お産だったと、
いたく感激されたお母さんの、
痛烈な病院出産批判の意見を聞いてしまい、
私はたいそう落ち込みました。
自分が満足し、ありがたい経験だったと思っていたものを、
否定された気がしたからです。
そしてあれこれ考えたり、
インターネットで様々な人の体験や意見を読み漁るうちに、
haruさんのブログと出会いました。
先に述べた彼女曰く、その「最低な」病院出産のせいで、
第一子との距離が未だに縮まらないのに、
助産院で生んだ子は、心から愛おしいと感じられるとのこと。
でも私は思う。
確かに彼女は、「粗悪な」病院でのお産、不幸でした。
商業ベースに則った薬の処方や処置も確かにあるかもしれない。
けれども、全部の病院がそうじゃないし、目を潰れる範囲だってある。
きちんとあったかい心を持った人間が働いてる病院、たくさんある。
それを、
助産院至上主義でハナから病院に否定的な人は、
自ら心閉じて、ココロとココロとのパイプを閉鎖している。
置かれた状況のなかで、「良い事探し」ができたり、
そこに働く人に対して、心を開く柔軟さ、ありがたいと思う気持ちがあれば、
きっと、病院の人とも心通い、それなりのお産はできるんじゃないかと。
「管理されてる」と感じるか、
「安心できる」と感じるか、という気もします。
そう思えるようになって、私の落ち込んだ気持ちはようやく、
再び浮上しました(単純かも?)。
私の母は難産で、医師の助けがなければ、命を落していたかもしれず、
娘である私のお産は、
信頼出来る先生、助産師さん、看護師さんがたくさんおられて、
設備も整っている場所でして欲しかったそうです。
私もそう思い、設備と人材の整った所を選びました。
幸い私は超がつく位の安産だったので、産んでみれば、
一度くらいはLDRとか、あるいは助産院みたいな「アットホーム」な場所で、
自然の時間進行に任せてのお産も経験してみたかったなぁ、
と思わないでもありませんが、
それは、無事にお産ができたからこそ思える、
贅沢な感情だと、自分で感じます。
末の子を生んだ公立病院では、
それこそ建物も古いし、食事も豪華ではなく、
しかも常に閉鎖の噂が流れる(笑)産婦人科でしたけれど、
緊急の事態に備えがある安心、
小児科がある安心、NICUがある安心、ありました
それらを安心、と感じられる私は幸せ者
(ついでに人気個人病院に押されて、
分娩数が1日1分娩という少なさのおかげで、
助産師さんたち独り占め。ゆったり会話ができてよかった)。
患者さんのために、人間の心をきちんとなくさず持って、働いている方々に、感謝いたします。
by ちゃっぴー (2012-11-16 15:13)
いつも更新されてないかな?とわくわくしながら
お邪魔しています。
セレブな産院も憧れないこともないですが笑
私はNICUもある総合病院を選びました。
麻酔科のDr.も常勤でいるので緊急カイザーも安心して
してもらえるかな…とも思いましたし。
母親学級では「バースプラン」を考える場があったのですが
私が誘発剤も吸引もカイザーもアリ!
とにかく母子ともに無事にお産できたらいいと言うと
助産師さんもママたちもびっくりしていました。
私にとって出産は命がけ。
私自身、常位胎盤早期剥離で1ヶ月半も早く生まれていたこともあり
特にそう思うのかもしれません。
結果、予定日超過でバルーン、誘発剤に吸引3回のあしかけ4日で生まれたのですが
なにかあってもすぐ対応してもらえるという安心感は
何ものにも替え難く、私を励ましてくれたと思います。
朝も夜も関係なく、常に笑顔で励まして下さったDr.や助産師さん、看護師さんたちに
本当に感謝!!
haruせんせもいつもありがとうございます(^ω^)
ブログでほっこりしてます。
長くなりましたが、これからも楽しみにしています。
by ゆき (2012-11-17 18:47)
前記事でコメントしましたな~こです。あれからICSIで妊娠しまして、今日、4週4日目なのですが、一昨日から切迫でリプロセンターに入院になってしまいました。
来週には、今までかかってた近所の病院に診察に行きたかったのですが、、、 近所の病院では、今、分娩制限がありまして、先程ネットで確認したところ、私が出産になるであろう頃の空きがもう、数人分しか残っていません。(まだ、4週目なのに?!) あと、残念なことに一番お世話になった先生が今年度で、他県の病院に移るそうです。
でも、一番お世話になった先生がいなくなったとしても、他の先生方も信頼できるので、どうしてもその病院で出産したいのです。やっぱり選ぶ基準は自分の身体のことを解ってもらえている安心感です。
やっとのことで妊娠の陽性判定が出て、スタートラインに立てたのに、なかなか思いもよらないハードルがいくつもあるものですね( -"-)
by な~こ (2012-11-23 20:02)
産婦人科の先生には、ラブラブdayも女の子dayもお話するので、やはり、信頼関係と安心が大事ですよね。
haru先生のような、暖かい心のDr.に、立ち会っていただいた、ママさんと、ベビーちゃんは、お幸せですね。
私も、心に残る出産になり、一生の宝物になりました。
by まなみんまま (2012-11-26 14:30)
ちゃっぴーさん、コメントありがとうございます。
返事が遅くなりごめんなさい。
病院で産んだ子供との距離が縮まないのに、次に助産院で産んだ子供が心から愛おしい、というのは、少し悲しくなります。
初めてお産が、不安だらけで、自分の中でうまくいかなかったと思えるだけで、その子には何の責任もないはずです。
どこで産もうと、我が子のはずなのに、産んだ場所や状況で愛情が変化するなんて、残念です。
「安心して産む」ということと、「自分の不安や希望を受け止めてもらいながら産む」のことは少し違うと思います。
きっとその方は、助産院で産んだことを自慢したかったけど、どう自慢したらよかったのか、気づかなかっただけのかも知れません。
by haru (2012-12-04 17:55)
ゆきさん、コメントありがとうございます。
お返事が遅くなりごめんなさい。
「なにかあったときに対応してもらえる。」と、皆さん思って分娩する施設を選んでいると思います。
助産院を選んだ方も、胎盤早期剥離に絶対自分はならない、というのではなくて、やはり胎盤早期剥離のときは、ちゃんと、大きな病院に紹介してもらえる、と信じていると思います。
そして、実際にちゃんと紹介してもらえているはずなのです。
大切なのは、ちゃんとした信頼関係があって、なんでも相談できる環境があるか?ということだと思います。
そして、あとから、「自分のお産はこうだった。」と笑いながら話ができるのはきっといいお産だったんだと思います。
by haru (2012-12-04 18:08)
なーこさん、コメントありがとうございます。
お返事遅くなりごめんなさい。
妊娠反応が出て、今度はお産する病院が予約でいっぱいだなんて、せわしないですね。
分娩制限があるのは、人気があるからだと思いますが、ベッド数やマンパワーに限界があるという意味かも知れません。
お産は、みんながまんべんなく均等にしてくれるものではなくて、一日に集中してしまうかも知れません。
いい先生がいて人気があるのは仕方がないですが、それ以外の先生もちゃんと信頼できるのかが、病院選びには大切かも知れませんね。
by haru (2012-12-04 18:16)
まなみんままさん、コメントありがとうございます。
たしかに、患者さんとは究極にプライベートな内容の会話をすることが多いかも知れません。
診察にしてもそうでしょう。
でも、それイコール「信頼関係」とは限りません。
それだけなら、ただの相談相手にすぎません。
本当の信頼関係は、命(自分だけでなくて、子供のも)を預かるということではないかと思います。
言葉だけなら、何とでもいえます。
本当の産婦人科医は、そのときに、どう動くのか?が大切ではないでしょうか?
だからこそ、「立ち会う」ことに意味があるんだと思います。
by haru (2012-12-04 18:30)