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りっぱなお父さん [妊娠]

先日、ひとりの患者さんが受診されました。
診察待ちをしている方の名前は、診察室にいて電子カルテの一覧で判るのですが、
ボクはこの方の名前を見た瞬間に思い出していました。
この方のことは、かつてこのブログで書いたものの、
公開することができず、ずっと「下書き」のままにしていました。

それは、2年前のことです。
その妊婦さんは救急搬送で紹介されてきました。
切迫早産でした。
しかも、妊娠22週0日で、双胎でした。
その妊婦さんが入院中している病院の部長先生からじきじきに相談の電話があり、
数日前から子宮口が開いてきており、何とか押さえ込もうと治療しているけれど、
感染と陣痛が始まってすでに厳しい状況とのことです。

「もう、どんどん陣痛が強くなって、今にも生まれそうです。」 
 「厳しいですね。 NICUは受け入れ大丈夫です。 すぐに送ってください。」

小児科にも連絡し、バタバタと準備が始まりました。
救急車で搬送された、妊婦さんは陣痛でかなり痛がっています。
ご主人も付き添われ、ずっと奥さんの手を握っています。

診察すると、胎胞が膣の中に出てきており、赤ちゃんの頭はすでに子宮口の外側まで下がって来ています。
子宮収縮抑制剤を増量し、何とか時間稼ぎをする一方で、この妊婦さんとご主人にこの厳しい状況を説明しました。

 「小児科医が全力で蘇生しますが、それで22週では多くの赤ちゃんは亡くなります。 生命を維持できたとしても、後遺症が残る可能性が高く、厳しいです。」

奥さんは、陣痛に耐えながら、不安で泣いています。
ご主人はすでに覚悟ができている様子でした。

「はい。 前の病院の先生から十分に説明を聞いています。 なんとか、この子たちをお願いします。」

そして、
「二人で頑張って育てていくんやぞっ! ええかっ?」

と、奥さんの手を握りながら、大きな声で、力強く励ましました。
泣きながら叫んだといってもいいくらいです。
奥さんは、痛みのせいか、うなづくだけでした。

そして、2時間ほどして子宮口が全開してしまいました。
もう抑えることはできません。
小児科に連絡し、子宮収縮抑制剤を止め、いよいよお産です。
破水した瞬間につるつると最初の赤ちゃんが生まれました。
臍帯を切って、ボクは小児科の先生に赤ちゃんを預けました。

待ち構えていた小児科の先生の蘇生処置は、早い早い。
ものの数秒で気管挿管がおわり、あっという間にNICUへ連れて行きました。

そして、もうひとりの赤ちゃんも同じように生まれ、
小児科の先生があっという間にNICUへ連れて行きました。

赤ちゃんたちは、当初、ボクたちがイメージしていたい以上に調子がよく、なんとかすこしでも後遺症がないよう祈るばかりでした。
そして、お母さんとお父さんは二人で毎日、何回もNICUに面会に行かれました。
いつも、ご主人が、ふらふらしている奥さんを支えるように寄り添っておられたのが印象的でした。

 「赤ちゃんたち、頑張って!」
ボクは祈りました。
お母さんもお父さん(ご主人)も同じ気持ちだったと思います。

ところが、3日目になって、
順調だった赤ちゃんの状態は二人ともほぼ同時に急変し、
あっという間に亡くなってしまいました。
小児科の先生たちも全ての精力を注いでくれましたが。
しかし、もともと小さな赤ちゃんです。
小さすぎました。

赤ちゃんたちが亡くなってすこしして、ボクはお母さんとお父さんに会いに部屋を訪れました。
二人とも、赤ちゃんのことを心配して、
生まれてからずっと、休まる間もなく、くたくたに疲れておられました。

ボクは、亡くなった赤ちゃんたちに手を合わせ、お別れをさせてもらっていました。

「先生・・・。」
 「はい。」
ご主人が言葉をひとつひとつ選ぶように話されました。

「・・・この病院に運ばれてきて、すぐにお産になり、この子を取り上げてくれました。」
「・・・小児科の先生にも頑張っていただき、感謝しています。」

そして、

「・・・ほんの3日間だけでしたが、この子たちに人生を授けてくれて、ありがとうございました。」
「・・・その間、私たちは家族でいられました・・・」

最後の方は、言葉になりません。
ボクも涙がとまりませんでした。

 「そうですね。 本当に、立派なお父さんとお母さんでしたよ。」

そういって、頭を下げるのが精いっぱいでした。

この方はもともとハイリスクな妊婦であったとはいえ、あまりにも突然の早産です。
この悲しいお産を受け入れることは難しいと思います。
それなのに、このお父さんは、奥さんを支え、短い人生であった我が子たちに代わって、ボクにありがとうと言ってくれました。

短い命の赤ちゃんでしたが、この子たちは、このお父さんの子で幸せだったに違いないと感じました。
そして、もし元気で生まれてきてくれていたのなら、もっともっと幸せだったと思うと、
産婦人科医として、人間として、父として、ボクは残念でなりませんでした。
悲しいお産でしたが、ボクは、最高の父親の姿を見ました。
そして、それゆえに、残酷ささえ感じました。

2年の歳月が経ち、
このたび、
2回目の妊娠でうちの病院に来られました。

最初は本人さんが一人で診察室に入ってこられました。

 「こんにちは。お久しぶりですね。妊娠されましたか?」
ボクは、問診表を見ながら、聞きました。

「はい。 先生、覚えておられますか?」
 「もちろん。名前を見た瞬間に判りましたよ。」
電子カルテの画面をさしながら言いました。
診察が終わり、妊娠初期で、順調な様子です。
 「今日、旦那さんは?」
「待合室で待っています。」

2年ぶりに会ったご主人は、あのときと同じように、
優しそうな「お父さん」に見えました。
不安そうな面持ちで診察室に入ってこられましたが、
ボクの顔を見た瞬間に、
ホッとしたような、しかし、今にも泣き出しそうな、
表現するのが難しい表情でした。

現在の妊娠が順調であること、
前回の妊娠が大変であったこと、
そのうえで、今回の妊娠での見通しや注意すべき点をいくつか話しました。

 「頑張って、行きましょう。」
「・・・はい。」

この、最高の「りっぱなお父さん」に再び会うことができ、
ボクは気が引き締まる思いを感じました。

そして、ボクは、あの言葉を思い出しました。

「全ての命には必ず、意味があります。
     きっと、なにかを教えてくれます。」

2年前に亡くなった、赤ちゃんたちのご冥福を祈るとともに、
きっと、この新しい命が、
たくさんのことをボクに教えてくれることを確信しました。


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ちばおハム

お話し、というか事実ですよね、読んでいるだけで泣きそうでした。(泣きませんよ!!お母さん、お父さんのほうがつらかったですもんね)
病院のお仕事はうれしいこと、悲しいことが両方詰まっているので、働いている方々は毎日真剣勝負なんですよね。
コメントはどうしてもうまく言葉で言えないので、これで終わります。
とにかく、お祈りしてます!!
by ちばおハム (2011-07-31 13:33) 

haru

ちばおハムさん、コメントありがとうございます。
この話は(これ以外の話もすべて)事実です。
あまりに悲しいので封印していたんですが、
しばらくぶりに外来に来てくれたので、
今回のことを書き加えて公開することにしました。
悲しいお産があったとき、ボクは、「グリーフケア」の目的で、
しばらく外来に通ってもらうことがあります。
この方にも勧めたのですが、
「うちの病院に来ると思い出すから」という理由で、
通うことを拒否された、という経緯があったのです。
そんなことがあって、心配もしていました。
今回の妊娠で、まず最初にうちの病院を受診してくれたことが、
うれしくもありました。
by haru (2011-07-31 22:13) 

はあゆあ

haru先生 はじめまして

私は元気に育っていたと思っていたはずの第一子を1歳半の時、病気で亡くしました。
その半年後に第二子を妊娠しましたが、8週目で切迫流産。
第一子の時にお世話になった先生で、初期流産の説明もきちんとしてくださり、先生は難しいと思っていたはずなのに、第一子を亡くしたことを話し、泣き出してしまった私に、『出来ることはしてみます』と入院させてくれました。
しかし、数日後出血し、内診でも心臓は動いているけれど育ってないこと、もう流産を止められないことを説明してくれ『いまから処置しますか?』と私に聞いてくださいました。
私が『自然に出てくるまで待ってください』とお願いすると何も言わず快く引き受けてくださり翌日流産しました。

その後、三人目、少し間をあけて4人目となる我が子を、その先生の元で無事に妊娠出産することができました。

そして今年、お世話になった先生にお礼の手紙を書くことができました。
先生に何も言わずに待ってもらえたあの一日は、亡くした息子の二回目の誕生日だったこと、その日をお腹の赤ちゃんの命日にしたくなかったこと、私にはとても大切な一日だったこと、長年伝えたかった感謝の気持ちをやっと伝えることができました。

妊娠すること自体、とても怖かったのですが、第一子のことも第二子のことも自分のことのように受け止めてくれたその先生が診てくださるからこそ、乗り越えることができたんだと思います。
先生方は、身体だけじゃなく心も診てくださっているんですね。

経緯は違いますが、haru先生がいてくださることが、そのご夫婦にはとても心強いことだと思います。

赤ちゃんが元気に生まれますよう、心から願っています。
by はあゆあ (2011-07-31 23:44) 

小さなきらきら

すごく考えさせられるお話です。
多胎妊娠は特に妊娠中の管理、お産、産後と大変で不安が大きかったように思います。
私は心筋症があり次回妊娠を望む反面、また同じこと繰り返したらどうしよう…という恐怖があります。
この御夫婦も新たな命を授かることに対して、言葉にならぬ様々なお気持ちがあったでしょうね…すごく強い方たちですね。
良い結果になると信じて、お祈り致します。
by 小さなきらきら (2011-08-02 00:26) 

ayakokko

haru先生はじめまして。

2年前半からみさせてもらっています。
2年前半に同じ状況に陥り25週でbabyを亡くしました。
突然の出産でわけもわからない三日間でした。

ですが、私たちが家族になれた素敵な数日でした。

25週ながらも運よく三件目でうけいれてもらえ、
その時にお世話になった産婦人科やNICUの先生や助産婦さんには感謝感謝の一言でした。

初めてあったメンバーで産んだ命、
頑張って守ろうとした命、
見もしらぬメンバーで最善をつくした命、
なんだか不思議な御縁でしたが自分達のbabyに尽くしてくださったことを本当にありがたく思っていました。

そんな皆さんにやっと御礼のお手紙を先日書くことが出来ました。
その後、一度の流産ののち今年4月に無事に赤ちゃんを出産することが出来ました。

周産期センターに通い、妊娠前から早産の原因を追及し妊娠。抗リンの注射と服用をしながら、無力症、感染症もろもろの要因も発覚...長い入院生活をしていました。

今回の妊娠から出産までもこちらの周産期センターでも先生がたには大変お世話になりました。

それと、この数年間haru先生のサイトでも勇気をいただいておりました。
いつか御礼がいいたいと思っており、私と同じケースの方の内容が掲載されていてついついコメントを書きました。

haru先生のコメントで勇気づけられている人は
沢山いると思いますし、考えさせられることが沢山あります。

このサイトを是非続けてくださいね。
そして、御自身のお体にはお気をつけて一つでも多くの命を救ってください!
応援しています。
by ayakokko (2011-08-02 23:16) 

ともかた

haru先生。初めまして。
いつもブログを拝見させていただいております。

今回のお話は約2年前の自分と週数が似ていて、涙が出てしまいました。

22週2日、この日が検診だったため、いつもどおりに病院に行ったら子宮口が3cm開いていて、そして陣痛が始まりつつあると言われ、訳もわからぬまま緊急入院になったことを思い出します。
私の場合、子宮収縮抑制剤2種類を最大限まで使い、陣痛を抑えることができたため、絶対安静の状態が3か月以上続きましたが、36週までお腹で育てることができました。点滴を外したとたんに陣痛が来て出産となりました。早産で低出生体重児ではあったものの、元気に生まれてくれ、成長してくれています。
当時、同じように22週での生存は厳しいこと、産まれても障害が残るであろうことを言われ、毎日泣いてばかりいました。それでも主治医の先生たちは頑張ろうと励ましてくれ、その言葉を信じて耐えた時間でした。
産婦人科の先生方の頑張り、自分自身がこのような妊婦になるまで気がつかないことばかりでした。感謝の気持ちで退院したのを思い出します。
haru先生のような先生に会えて、私たち親子はとても幸せでした。

haru先生の言葉、すごく重みがあるので、いつも読ませていただきながら考えさせてもらっています。
これからもたくさんの妊婦さんを勇気づけてくださいね。
たくさんのお話をブログに載せてください。
先生自身、お体に気をつけて、たくさんの妊婦さんを救ってくださることをお祈りしています。
そしてこのお話の方が無事に出産され、子供が成長することを心よりお祈りします。


by ともかた (2011-08-05 22:56) 

haru

はあゆあさん、コメントありがとうございます。
妊娠初期の流産は、産婦人科医にとっては、どちらかというと「比較的よくあること」なのです。それゆえに、ひとりひとりの妊婦さんにとっていろんな意味があることを忘れがちになるのです。
はあゆあさんの主治医の先生は、直接何も言わなくても、その1日に、きっと、深くて大きな意味があることを感じてくれたのだと思います。
懐の深い、立派な先生なんでしょうね。
つい、「母体の安全を最優先に」という大義名分のもとで、患者さんに必要な時間を大切にできないことがありがちかもしれません。
大切なことを教えていただいて、感謝します。
by haru (2011-08-06 23:10) 

haru

小さなきらきらさん、コメントありがとうございます。
この方は、前回の早産の原因を、別の病院で手術を受けて、ちゃんと解決しておられました。
手術ひとつ受けるのも、勇気がいることだったと思います。
たぶん、手術の時も、きっと御主人が手を握って、優しく、厚く、寄り添っていてくれたんじゃないかと思います。
本当に、いい旦那さんです。
この素晴らしいご夫婦に、もうひとつの新しい家族ができることは、ボクらにとっても幸せなことです。
by haru (2011-08-06 23:20) 

haru

ayakokkoさん、コメントありがとうございます。
ボク自身、この方の話をこのブログに公開することがいいのか、わかりませんでした。
あまりにもつらいお産だったからです。
それに、産婦さん自身の気持ち、ボクが十分に受け止めることができないまま、うちの病院を去って行かれたからということもあります。
しかしながら、そういったつらい経験を自分たちで乗り越えて、ボクの診察室に自らの足で入ってこられたのです。
(初めて来られた時は、救急車でストレッチャーに乗っていました)
今度こそ、この妊婦さんと御主人を正面から受け止めて、一緒に乗り越えていかなければなりません。
by haru (2011-08-06 23:31) 

haru

ともかたさん、コメントありがとうございます。
本当によく頑張りましたね。
子宮収縮抑制剤の副作用とともに、不安に耐えながら、大変だったと思います。
元気に育ったお子さんには、時期が来たら、妊娠期間中にお母さんが頑張ったことを話してあげてください。きっと、きらきらとした目で、聞いてくれるはずです。
元気に生まれてきた子供たちが、一日、一日、健康で過ごせることに感謝します。
by haru (2011-08-06 23:40) 

子育てほぼ卒業医師

haru先生、はじめまして。
医療崩壊防止の応援のため、癒しのため、いつも愛読させていただいています。
先日、知人のだんなさんが産婦人科部長を辞めて開業した話を聞きました。櫛の歯が抜けるように医員が減って行き最後の1年間は女医さんと二人で過労死しないことだけを目標に頑張ったこと、それでも、辞めて開業すると報告したら院長はすぐ大学から代替要員が来ると思ったらしく引き止めもしなかったこと、でも後任は来ず、だんなさんは「XX病院産婦人科を潰した男」と言われていること、などなど。その院長がそんな働かせ方をしているからだ、ザマアミロだ、だんなさんはちっとも悪くない、と慰めてあげました。
ところで、貴院は次男を出産したときと3番目を稽留死産したときにお世話になった病院じゃないか、と、遅まきながら気付きました。25年前ですから、もちろん当時の先生方はもう一人もおられないでしょうが、その節はお世話になりました。その後リベンジで4人目にやっと女の子が授かり、3人の子育てもそろそろ終わりに近づいております。死産した子のために小さなお葬式をしていただき、美しいコーラスで送っていただいたこと、今でも深く感謝しております。
今年の夏休みはどこにいらっしゃっていますか?家族サービスもしっかりなさってください。すべての産婦人科医の皆さんが人間らしい生活を送ることができますように。
by 子育てほぼ卒業医師 (2011-08-14 16:25) 

haru

子育てほぼ卒業医師さん、コメントありがとうございます。
うちの病院では、もちろん現在も死産となった赤ちゃんにはお別れ会を行っています。宗教的背景がある、うちの病院ならではのものかもしれません。働くドクターが変わっても、うちの病院の精神はこれからも受け継がれているのではないでしょうか?
たしかに、これまでにボク自身、何度となく開業することを考えました。
あまりにもしんどくて辛かったからです。
しかしながら、京都府の周産期医療はまだいくつもの問題点を抱えており、まだまだやらなければならないことがあると最近思うようになりました。
ひとつひとつの命を大切にしながら、これらの問題点を解決できるように微力ながら努力したいと思います。
・・・夏休みは十分すぎるくらい楽しみました。
by haru (2011-08-14 20:30) 

るりゆりママ

いつも拝見させていただいています。

私も4年前の7月に、同じく22週0日で双子ちゃんを産みました。
双胎間輸血症候群で手術して入院中・・・突然の陣痛でした。
ひとりは死産、もうひとりは懸命の処置をしていただきましたが数時間後にはお空へ旅立ちました。

悲しくて辛くて・・・どうにもならないほど苦しみましたが、救ってくださったのは一緒に泣いてくれた助産師さんや、『心の整理がつきません・・・』と悲しんでくれた担当のドクターのおかげです。
新生児の先生も一生懸命助けようとしてくれていました。

心のこもったお別れの会もしていただきました。
グリーフケアとして2回ほど病院にも行き、カウンセリングも受けました。

今はその後に産まれた2歳半の娘の成長に感謝する日々です。

悲しいお産ではありましたが、双子ちゃんは私の愛する娘ですし、私のお腹にきてくれてありがとう、って思っています。

いつか私が天に召されて逢う日まで、頑張って生きていこう・・・って。

このご夫婦もきっと同じですね。
haru先生をすごく信頼されてるんだと思います。

元気な赤ちゃんが誕生するのを私も祈っています!!
お空の双子ちゃんも応援してくれていますね☆




by るりゆりママ (2011-08-17 01:05) 

haru

るりゆりママさん、コメントありがとうございます。
悲しいお産が必ずしもその方の人生にとって辛くて悪いことばかりではないのだということを、るりゆりママさんのコメントから教えていただいた気がします。
天に召されたお子さんたちの命がたくさんのことを教えてくれて、それがこの子たちの「命の意味」を気づかせてくれるのではないでしょうか?
気を引き締めて、ボクもこれからも頑張ります。
by haru (2011-08-21 22:18) 

5児のママ

はじめまして。
私は三年前に第4子を死産しました。
お腹の子の脳に大きな腫瘍が見つかり、その腫瘍が口を塞いでいるため、羊水が飲み込めず羊水過多を引き起こしていました。
結局、妊娠9ヶ月で死産となりましたが、この経験で大切なことを学べたと思います。家族やまわりの人のありがたさ、病院の先生、看護師さんたちの優しさに、日頃の自分の傲慢さを心から反省しました。
とてもつらい体験でしたが、無駄な出来事ではなかったと思います。
そして今年3月に生まれた5人目の赤ちゃんが健康であることがとてもありがたく、感謝しています。
産婦人科医師という素晴らしいお仕事、これからも頑張ってくださいね。応援しています。
by 5児のママ (2011-08-24 12:20) 

haru

5児のママさん、コメントありがとうございます。
辛くて悲しい経験をされた方を前に、ボクらに何ができるのでしょう。
医療者としてではなくて、人間として心と心で接することしかないようにも思います。
そんな中で、これからも自分ができることを常に考えていきたいです。
ありがとうございました。
by haru (2011-09-12 07:41) 

みい

記事を読んで涙が出ました。
私は1年10ヶ月前に一卵性の双子の女の子を出産しました。22週2日でした。
小さな体で、長女は3日、次女は75日も頑張ってくれました。
短い間だけど、私は二人のお母さんになれて、可愛い二人に会えて嬉しかったです。今ある命が奇跡で、どの命も愛しく感じます。その時研修医だった夫は産婦人科の医師となりました。

by みい (2013-07-27 20:37) 

haru

みいさん、コメントありがとうございます。
すべての命は愛おしい。
この一言に、母としての、深さを感じます。
ご主人もきっと、同じ気持ちで、日々、働いておられることと思います。

by haru (2013-08-11 08:02) 

こたこた

はじめまして。こたこたと申します。
今日私の妹夫婦の子が22週目で天国に召されました。
切迫早産でした…
まだ二人は若い…30代目の前ですが…
先生が書かれた方の用に
二人に速くまた授かるように祈ってます。
by こたこた (2015-01-30 01:05) 

haru

こたこたさん、コメントありがとうございます。
悲しいお産を経験された妹さん夫婦を前に、きっと、かける言葉がなかったのではないでしょうか?
医療者である、ボクたちでさえ、そうなのですから。
祈る気持ちやそばにいて寄り添う想いが、自然と伝わると思います。
小さな命、心からお冥福をお祈りします。
by haru (2015-01-31 11:05) 

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