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さよならが言えなかった [産婦人科医]

ボクには同い年のいとこがいて、彼は先天性脳性麻痺でした。
母から聞いたところによると、生まれたときにへその緒が何重にも巻き付いていたのだそうです。
今から考えると、知的障害があって、運動機能障害は軽度でした。
幼い頃は近くに住んでいたので、よく一緒に遊んでいました。
でも、いつ走り出すかわからないので、いつもぎゅっと手を握っておかないといけませんでした。
名前を呼んでくれたことはありましたが、ちゃんとした会話をした記憶はありません。
伯父さんや伯母さん、いとこのお兄ちゃんやお姉ちゃんも、いつも彼の手を握って、歩いていました。
地元の小学校では、養護学級に入っていたので授業は別々でしたが、
同じクラスでした。
4年生の遠足では、伯父や伯母、いとこがいない場所で、
先生と交代で、彼の手を握って歩いたのを覚えています。

何かの用事を親に頼まれて、伯父の家に行ったとき、
伯父はちょうど、庭の花壇に球根を植えていました。
ネコがいたずらしないように、割り箸を一緒に土に刺していました。
それがおもしろくて、後ろから見せてもらっていたとき、
伯父がボクの顔を見ることもなく、
「なぁ、haru、おっちゃんが死んだ後、あの子のこと頼むで。」
いとこのお兄ちゃんもお姉ちゃんもいるのになんでやろ?と
思いながらも、
 「うん、わかった。」
と、返事をしました。
何故かわかりませんでしたが、胸がギュッとなったのを覚えています。

その後、ボクは私学の中学に通うようになり、
彼とはほとんど会わなくなりました。
中学を卒業すると、養護施設に入り、
年に数回しか家に帰らなくなりました。
祖母や伯父が亡くなったときも、
彼と会うことはありませんでした。

先日、当直明けの土曜日の夕方、
実家の母から電話がありました。
いとこが亡くなった、というのです。
この数年は、病気がちで少しずつ弱っていたそうなのですが、
亡くなったのは3日前のことで、その日の昼に、お葬式があって、
ボクの名前で、お花も供えておいたし、
骨も拾ってきたから心配しなくてもいいよ、というのです。

突然のことなので、言葉になりませんでしたが、
昔、花壇の横でした、伯父との約束を思い出しました。

「なぁ、haru、おっちゃんが死んだ後、あの子のこと頼むで。」

伯父とボクは、確かにそう約束したのに、
ボクは、まだ何にもしていません。

 「なんでいうてくれなかったん?お葬式、行けたで。」

母にそういうと、
「忙しいのに、わざわざ帰ってこなくてもいいの。」
「全部、済んだから、大丈夫。」
と繰り返しています。
伯母は、ボクの母とほぼ同い年なので、すでに80才前後でしょう。
「これで、やっと安心して死ねる。」
と母に語ったそうです。

幼い頃から、母は、ボクといとこが一緒にいると、
伯母に気を遣っていたことも思い出しました。
テストでいい点をとったことを伯母たちがいる前で
自慢したとき、要らんこと言わんでもいい、と
叱られたこともありました。

ボクがいとこのお葬式に行き、伯母に会うことを、
母は避けたかったのかもしれません。
50年来の、母と伯母の関係がそこに存在していたのでしょう。

でも、ボクは、
もう一度、いとこに会いたかった。
手を握って、仲良く歩いた遠足を二人で思い出したかった。
そして、
ボクが伯父と大切な約束をしたのに、
なんにもしてあげることができなかったことを
謝りたかった。

ボクが彼に、
さよならが言えなかったのは、寂しかったけど、
一番、寂しかったのは、
ボクじゃないと思います。

今、ボクには、
産婦人科医として
しなくてはいけないことがたくさんあり、
もしかすると、
それこそが、
昔、伯父とした、
約束なのかもしれないと思いました。

天国で、
お酒が好きで、いつも陽気な伯父は、
いとこの手をぎゅっと握りながら、
いい気分でお酒を飲んでいるように思います。

「haruに頼んでおいたから、大丈夫や。」

さよならが言えなかったのは、
ボクにとって、
伯父との約束がまだ続いているからなのかも知れません。

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まなみんまま

ご冥福をお祈り致します。

私の娘は、自閉症スペクトラムです。4日後に産まれた姪っ子は、定型発達。正直、会うのが辛いなって感じることもあります…とは言え、可愛い姪っ子です。
実家にいる、祖母の容態が悪くて…両親からは、あんたは、遠いし、子連れは大変だから、急いで来なくていいと言われています。
その時が来たら、主人と娘を連れて、向かいます。祖母が元気な時に、ひ孫も見せたし、尽くしたので、悔いはありません。
娘のことは、親戚には伝えていなくて…その時がきたら、言わずとも知られてしまう…複雑な気持ちがありますが、娘を隠さず、ありのままでいようと思います。
haruさんが、産婦人科医になるのを、叔父様には、見えていたのでしょうね!お会いできなかったことは、残念ですが、お母様のお気持ちもわかるなぁ…haruさんの頑張りが、一番の供養になりますね!応援しています。
by まなみんまま (2014-03-26 05:57) 

chii

いとこの手を、ぎゅっと握っていたharu先生の温かい手。
今はたくさんの赤ちゃんやお母さん
すべての患者さんの手を
優しく、力強く、ぎゅっと握られているように思います。

ご冥福をお祈り致します。
by chii (2014-04-12 21:40) 

ともたま

haru先生のおっしゃる通り伯父さまは「やっと一緒にお酒が飲めた。」って喜んでいるでしょうね。
伯父さまが先生と交わした約束。
いとこの方がこの約束を思い出させてくれ、先生に更なる力を与えてくれたのかなって思ってます。
また、先生や先生のお母さま、伯母さまの思い。
僕は胸が熱くなり、そして切なくなりました。

最後に繰り返しになってしまいますが、伯父さまは息子さんの手をぎゅっと握りしめ、思いっきり抱きしめたりして、楽しく一緒にお酒が飲めて本当に本当に喜んでると思いますよ(≧∇≦)
by ともたま (2014-04-14 19:20) 

ゆき

三月に出産を経験したばかりの者です。すごく貴重な体験をして、本当に神秘的で凄いことだと感じました。
その現場で働く産婦人科の先生や助産師さんに興味がわき、そんな中ブログを見つけ少しづつ読ませて頂いてます。すごく考え深い内容で心に突き刺さるものがあります。頑張って下さい。
by ゆき (2014-04-15 02:47) 

haru

まなみんままさん、コメントありがとうございます。
自分の子供を思うとき、どんなに心配なことがあっても、自分の顔を見て、にっこり微笑んでくれたら、それでいいと思っています。
親がいつもニコニコしていないと、子供は不安になるんですよね。
by haru (2014-04-27 11:54) 

haru

chiiさん、コメントありがとうございます。
今は忙しくなってしまって、ゆっくりと患者さんと向かい合うことができているのか不安になることがあります。
by haru (2014-04-27 12:14) 

haru

ともたまさん、コメントありがとうございます。
伯父は、生前、いとこが生まれてから、毎日日記を付けていました。
ボクが中学生くらいのときだったか、もう忘れてしまいましたが、あるとき、その日記を見せてもらったことがあります。何十冊にもなっていました。
「おっちゃんな、こうやって日記つけてんねん。」
伯父は、いとこの成長を、毎日、毎日、記録していました。日々の喜びや不安など、伯父が、いとこを思う気持ちの強さを感じました。
しかし、今になって、なぜ、その日記をボクだけに見せてくれたのでしょう。そのときの、ちょうど、今のボクと同じ年代であった、伯父の気持ちを思うと、また胸が締め付けられる気持ちになります。
by haru (2014-04-27 12:29) 

haru

ゆきさん、コメントありがとうございます。
お産は、痛くて、しんどいですが、人生で何度も経験できることではない、すばらしい経験だと思います。
そのお産を、「よかった」と言ってもらえるように、ボクたちは頑張っています。お産の数だけ、産婦人科医や助産師が確実に頑張っているはずです。
by haru (2014-04-27 12:36) 

ひまわり

はじめまして。

去年の秋に予定日を過ぎて死産しました。臍帯過捻転と言われています。

周りから、『生きていても障害が残っていたかもしれない。』なんて言われ、複雑な思いをしました。

娘は、37週から体重が増えていませんでした。何度も訴えたのにNSTをしてもらえなかったことを今でも恨んでいます。

でも、緊急帝王切開になり、そして娘に障害があったらわたしはきちんと育てていけたのか自信はありません。

伯母さまもいろいろな葛藤の中、育児されたのでしょう。同い年のいとこにハルさんみたいな頭のいい方がいらして複雑だったに違いありません。

そして、ハルさんのお母さまは気の効く方ですね。

ハルさんもいとこさんに対して優しい。


いとこさんは、今お空の国でとっても幸せに暮らしてらっしゃいますね。
by ひまわり (2014-05-03 23:50) 

ひまわり

連投失礼いたします。

2011年3月にお書きになったブログに、診断書を求めた教師に対してあり得ないと書かれていました。

わたしのように予定日を過ぎて死産すると安定期はありません。


常におなかがはっていました。

次に妊娠したら、早めに休みたいと思っています。

また死産したら、わたしは生きていけないとおもいます。

診断書があると、うちも契約社員が派遣できるそうです。

まだ妊娠していませんが、そうしてほしいと言われています。

by ひまわり (2014-05-04 00:07) 

まめ

はじめまして。
今年、分娩中に急変して、娘に重い脳の障害が残った者です。
その後から先生のブログを知り、産婦人科の先生方の思いを知るきっかけになりました。

生まれてからずっとNICUに入院しているこの娘を育てていくにあたり、自分が、家族が、親戚が、どんなことを感じていくのか。心配で気が重いです。
haru先生からいとこさんへの思いのように、あたたかい気持ちが生まれるように、切に願っています。
by まめ (2014-06-06 21:56) 

haru

ひまわりさん、コメントありがとうございます。
なによりも、お腹の中で亡くなった赤ちゃんのご冥福をお祈りします。
声にならない、赤ちゃんの叫びを聞いてあげるのが、ボクたち産婦人科医の役目と思い、日々耳を澄ませています。
それでも、力が及ばず、どうにもならないことがあります。
悲しいお産があり、次の妊娠に大きな不安がある方に、ギリギリまで仕事をしなさいと言う産婦人科医はいないと思います。次に妊娠されたときには、ゆっくりと、無理しないようにしてください。
by haru (2014-06-08 12:58) 

haru

まめさん、コメントありがとうございます。
元気な赤ちゃんをイメージしながら、妊娠中も過ごされていたでしょう。
お子さんに重い障害がのこったことは、残念に思います。
ご家族の微笑みに包まれて、少しずつでもお子さんが成長され、その一つ一つが日々の喜びに変わることを祈っています。
うまく言えませんが、ボクの言葉が励ましや支えになれば幸いです。
by haru (2014-06-08 13:10) 

keiko

うちの孫は2才で自閉症と診断され、幼稚園でも補助教員がついたにもかかわらず、公立の幼稚園では見切れないから、と別の施設へ行くことを勧められ、来春移ることになっています。人と違う、という事がわが身内にあるとは思いませんでしたが、そうなってみると、だからといってすくすくと立派に育っているよそのお子さんをうらやましいとかいう事よりも、わが孫がどうしたら将来困らないように育ってくれるか、そっちの方にばかり心配が向きます。伯父様が言われた言葉が胸にしみます。

by keiko (2014-12-26 22:05) 

haru

keikoさん、
コメントありがとうございます。
立派に育つことが、無事に生まれることよりも、どんなに難しいことなのかと、思うことがあります。
でも、健康でいてくれたらいい、にっこり笑顔を見せてくれたらいい、と思います。
いろいろ心配なことはつきないと思いますが、まずは健康第一ですね。
by haru (2014-12-31 11:02) 

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