ボクの背中を押してくれたひとこと [産婦人科医]
ボクは産婦人科医ですが、それを最終的に決めたのは医学部を卒業する直前でした。
たしか1月か2月の末日が期限だったのです。自分で決めて、それを大学か大学病院にいいにいけばよいだけなのですが、今思えば、実に気楽な就職です。
ボクは最後の最後まで悩んでいました。
ぎりぎりまで小児科と産婦人科で悩んでいたのです。
「ホントにこれでいいのか?」って。
自分の人生を決めてしまう、この重大な決定が、テストとか面接とかでなく、ただ申請するだけでいいのです。
かえって悩んでしまいます。
もともと、ボクは小児科医にあこがれて医師の道を選びました。
ただ、その理由は漠然としたものであり、ただ「子供が好きだ」という理由でした。
そして、医学を学ぶうち、産婦人科の面白さややりがいに気づきました。
父が産婦人科医であったことも影響がなかったわけではありません。
父と同じ世界を共有でき、父のことを理解できるという喜びもありました。
しかし、ボクは大学在学中に大病を患いました。2ヶ月間の入院生活を経験し、患者さんの気持ち(痛みや不安)を身をもって感じることができた一方で、自分の体力には自信が持てませんでした。
産婦人科も小児科も体力がないときついです。
正直、もう少し体力的にラクそうな科の入局説明会もいくつか参加しました。
そんなとき、同級生のひとりと話しました。
彼とは、夏休みを利用して、舞鶴の病院に1週間産婦人科の病院実習に二人で行った仲です。
彼の親も産婦人科医だったこともあり、わりと境遇は似ていました。
彼はとっくに産婦人科に入局を決めていました。
「どうしようかな? やっぱり、オレ産婦人科、自信ないわ。」
「・・・・」
「体力的にきついやろ。当直とかもあるし、時間も不規則やしな・・・。」
「・・・もし、体力的な問題だけやったら、みんなで交代して当直したらいい。 ほんとにしんどかったら僕に言ってくれたらなんとかする。 それより、せっかく入局するんやったら人数が多いほうがいいと思うし。」
もともとそれほど言葉数の多くない彼の、そのひとことにスーッと気分がラクになったのを覚えています。
このひとことが決定打になり、それ以降、ボクは迷うことなく、産婦人科の道を選ぶことに決めました。
なにも一人で悩むことはなかったのです。
志を同じにする仲間がいて、その仲間と同じ汗をかき、頑張ればよかったのです。
「〇〇くん、今度実家に帰って開業したんやで。」
「あんたに『しんどかったら僕が当直するから一緒に産婦人科入ろう』っていってくれはった子やろ?」
「よう覚えてんなぁ。 その通り。」
「あんたもはよ帰っておいでや。」
「・・・。 オレにはまだすることがいっぱいあるんや。」
先日、実家に帰ったとき、母親とこんな会話をしました。
ボクは今でも、彼にあの時、あの言葉をかけてくれたことを感謝しています。
もしかしたら、ボクの親はもっと感謝してるかもしれません。
今、ボクは一人の産婦人科医としてそれなりに頑張っています。
しかし、なにもたった一人で頑張ってきたわけではありません。
しんどかったらいつでも代わってくれる仲間がいたからこそ、今の自分があるのです。
たしか1月か2月の末日が期限だったのです。自分で決めて、それを大学か大学病院にいいにいけばよいだけなのですが、今思えば、実に気楽な就職です。
ボクは最後の最後まで悩んでいました。
ぎりぎりまで小児科と産婦人科で悩んでいたのです。
「ホントにこれでいいのか?」って。
自分の人生を決めてしまう、この重大な決定が、テストとか面接とかでなく、ただ申請するだけでいいのです。
かえって悩んでしまいます。
もともと、ボクは小児科医にあこがれて医師の道を選びました。
ただ、その理由は漠然としたものであり、ただ「子供が好きだ」という理由でした。
そして、医学を学ぶうち、産婦人科の面白さややりがいに気づきました。
父が産婦人科医であったことも影響がなかったわけではありません。
父と同じ世界を共有でき、父のことを理解できるという喜びもありました。
しかし、ボクは大学在学中に大病を患いました。2ヶ月間の入院生活を経験し、患者さんの気持ち(痛みや不安)を身をもって感じることができた一方で、自分の体力には自信が持てませんでした。
産婦人科も小児科も体力がないときついです。
正直、もう少し体力的にラクそうな科の入局説明会もいくつか参加しました。
そんなとき、同級生のひとりと話しました。
彼とは、夏休みを利用して、舞鶴の病院に1週間産婦人科の病院実習に二人で行った仲です。
彼の親も産婦人科医だったこともあり、わりと境遇は似ていました。
彼はとっくに産婦人科に入局を決めていました。
「どうしようかな? やっぱり、オレ産婦人科、自信ないわ。」
「・・・・」
「体力的にきついやろ。当直とかもあるし、時間も不規則やしな・・・。」
「・・・もし、体力的な問題だけやったら、みんなで交代して当直したらいい。 ほんとにしんどかったら僕に言ってくれたらなんとかする。 それより、せっかく入局するんやったら人数が多いほうがいいと思うし。」
もともとそれほど言葉数の多くない彼の、そのひとことにスーッと気分がラクになったのを覚えています。
このひとことが決定打になり、それ以降、ボクは迷うことなく、産婦人科の道を選ぶことに決めました。
なにも一人で悩むことはなかったのです。
志を同じにする仲間がいて、その仲間と同じ汗をかき、頑張ればよかったのです。
「〇〇くん、今度実家に帰って開業したんやで。」
「あんたに『しんどかったら僕が当直するから一緒に産婦人科入ろう』っていってくれはった子やろ?」
「よう覚えてんなぁ。 その通り。」
「あんたもはよ帰っておいでや。」
「・・・。 オレにはまだすることがいっぱいあるんや。」
先日、実家に帰ったとき、母親とこんな会話をしました。
ボクは今でも、彼にあの時、あの言葉をかけてくれたことを感謝しています。
もしかしたら、ボクの親はもっと感謝してるかもしれません。
今、ボクは一人の産婦人科医としてそれなりに頑張っています。
しかし、なにもたった一人で頑張ってきたわけではありません。
しんどかったらいつでも代わってくれる仲間がいたからこそ、今の自分があるのです。
いつも拝見させていただいてます。
そして元気をもらってます。
大学病院勤務の産婦人科医です。
まだ8年たってないのに 同期6年の内5人がいなくなってしまいました。
いろんな理由があるのでそのこと自体はいいのですが、
仲間がいない、はげましあえるのがいなくなったのはさびしいです。
奴隷医 なぞといわれても たちさりをして一回崩壊させねば といった
意見があっても実行したらその間 わりをくうのは患者さん。
なので信念をもって勧誘をしたいと思います。
ギネは大変だけどうちはしっかりしてるからおいで といいきれないのが
申し訳ないが この先はよくするから と勧誘してきます。
by 勧誘人 (2008-10-17 13:43)
勧誘人さん、コメントありがとうございます。
励ましあえる友達がいなかったら、ボクはすでにダメになっていたかもしれません。同期が減っていくのはつらいですね。
勧誘人さんの「信念をもって勧誘をしたい」という言葉に力を感じます。
本当にお疲れ様です。
ボクは、若いドクターには「産婦人科医になれ。」とはいえません。
それは、単に恨まれるのが怖いからです。わはは。
ただ、産婦人科の素晴らしさを伝えることで、産婦人科に興味がある人や産婦人科医になりたいと思ってる人に、飛び込む勇気を与えることができたらうれしいです。
by haru (2008-10-18 22:46)
いいお話ですね。
学生時代からいいお友達に囲まれていたんだなあ、と感じました。
私は友達が少ないですが、最初に就職したときの同期の友達にはいろいろ助けられました。今もですね。こっちで寂しくなったころ、いつも手紙がやってきますから。
お医者さんは人間の命に関係しているお仕事なので精神的にも負担が大きいですよね。(本当に怖い場面、たくさんみましたから)
そんなお仕事をされているharuさん、そして勧誘人さん、ありがとうございます。
by ちばおハム (2008-10-19 16:36)
またいいお話を聞かせてもらいました。
仲間、同志というのは人生のなかで大きな存在ですよね。
私も迷ったとき、何かにつまずいたときなど、真の友人や同僚に何度、背中を押してもらったことか。
そのお友達もそうですが、haruさんがその決断から、とてもしんどくても今も同じ世界でがんばれられていること、多くの患者さんがとても感謝されてると思います。
”勧誘”がうまくジワジワと広がりますように!
by Chico (2008-10-20 09:49)
ちばおハムさん、コメントありがとうございます。
医師として駆け出しのころは、実を言うと、ボクは自分のことで精いっぱいで、あんまり同期に声をかけたりしてませんでした。
何年か経って、貴重な存在だったことを思い出すのかもしれません。
男同士なので、そんなに手紙書いたりとかはないですが、たまに学会なんかで顔を合わせて、それぞれが他の誰かと話してると、アイコンタクトするくらいです。
でも、それで十分です。
by haru (2008-10-21 09:43)
Chicoさん、コメントありがとうございます。
その時はしんどくて余裕がなくても、あとから、じわっと来るのが仲間のありがたさですね。
特に職場で管理職になると、友達は貴重です。
by haru (2008-10-21 09:54)