また悲しいお産があった [分娩]
先日、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっている、と、
近くの医院から一人の妊婦さんが紹介されてきました。
妊娠7か月目の子宮内胎児死亡でした。
入院の時、ボクは家にいて当直の若いドクターから連絡を受けました。
「すこし時間が経っているようです。」
そのドクターが超音波などの診察の所見を説明してくれました。
あまり時間が経過すると母体にも影響が出てきます。
入院された日は、子宮口を拡げる処置をして、
次の日に陣痛を起こします。
治療方針と一般的な注意とをそのドクターに伝えました。
次の日、ボクは当直でした。
「明日はボクがいるからね。」
「わかりました。」
優秀な彼女(女性医師です)は、冷静に対応してくれることでしょう。
次の日、朝から陣痛促進剤を使い、陣痛を起こしました。
午後近くになって、陣痛が強まり、そろそろお産になりそうですと連絡がありました。
ボクは分娩室でこの方のお産に立ち会いました。
主治医であるそのドクターがお産の介助をし、ボクは分娩台の横から見守りました。
静かなお産です。
ほどなく、小さな赤ちゃんが卵膜に包まれたままで、お産になりました。
主治医の先生が卵膜をはさみで開き、赤ちゃんを見ると、
臍帯の過捻転がありました。
お腹の中で、胎児への血流が途絶えてしまったようです。
妊娠中期の子宮内胎児死亡の原因としては、
この臍帯過捻転がもっとも多いのです。
ボクは、御主人に説明し、
そして、頭を下げ、小さな赤ちゃんに手を合わせました。
「助けてあげられなくてごめんなさい。」
心の中で、赤ちゃんに話しました。
それに合わせて、御主人も、立ち会っていた若いドクターたちも、助産師も、
みんなが手を合わせてくれました。
お産を終えたお母さんも、静かに涙を流しています。
前にいた病院でも、やはり悲しいお産がありました。
そのたびごとに、
ボクはこうやって、手を合わせていました。
そして、前にいた病院では宗教的な背景もあったので、
お別れ会として、スタッフみんなが集まり、
赤ちゃんとお母さんのために祈るひとときがありました。
お別れ会では、亡くなった小さな命に対して、
そして、悲しみにくれるお母さんやお父さん、ご家族に対して、
ボクら医療者の思いや祈りを伝えることができました。
それでご家族が少しで癒されることができれば、と思いました。
もちろん、形ばかりの儀式のように見えることもあったかもしれません。
受け止め方はいろいろあるでしょう。
しかし、お別れ会では、
悲しいお産に立ち会ったボクらスタッフが、
自分たちの気持ちを素直に表すことができました。
医療者は、患者さんが泣いているときでも、一緒に泣くのではなくて、
医療者として、冷静にそれを受け止めなくてはいけません。
だからといって、悲しくないわけではないのです。
死、という悲しみに、
素直に涙を流すひとときがあることで、
その悲しみを、人として受け入れることができます。
「先生、お別れ会、どうしましょう?」
悲しいお産の後に、お母さんからそう聞かれたこともあります。
看護師さんがお別れ会をしますか?と尋ねたのです。
お別れ会は、宗教色がないわけでもないので、
患者さんの中にはお別れ会を病院で受けることそのものに
抵抗を感じる方もありました。
「もしよければ、ボクたちに、赤ちゃんのためにお別れをする時間を少しだけください。 ボクたちが気持ちを整理して前に進むためにです。」
ボクは、そういってお別れ会をお願いしました。
今回の、この悲しいお産を、
若いドクターたちと振り返りながら、
できればこの病院でもお別れ会をしたいんだと話しました。
そこには宗教的な背景はとくにいらないと思います。
「先生、それで、赤ちゃんに手を合わせていたんですね。」
納得しました、とばかりに研修医の先生がいいました。
ボクが分娩室で手を合わせたのに、すこし驚いたのだそうです。
ボクのとった行動がおかしい、というのではなくて、
これまでに、そうするドクターがいなかったというのが理由のようです。
たとえ、何かの理由で医療者として赤ちゃんに手を合わせることができなくても、
人として手を合わせて欲しいと思います。
「一番大切なことは、今日の、このお産と赤ちゃんのことを、ずっと覚えておくことや。 絶対忘れんといて欲しい。」
純粋な、この先生たちに、ボクの思いがしっかりと伝えることができたと思います。
近くの医院から一人の妊婦さんが紹介されてきました。
妊娠7か月目の子宮内胎児死亡でした。
入院の時、ボクは家にいて当直の若いドクターから連絡を受けました。
「すこし時間が経っているようです。」
そのドクターが超音波などの診察の所見を説明してくれました。
あまり時間が経過すると母体にも影響が出てきます。
入院された日は、子宮口を拡げる処置をして、
次の日に陣痛を起こします。
治療方針と一般的な注意とをそのドクターに伝えました。
次の日、ボクは当直でした。
「明日はボクがいるからね。」
「わかりました。」
優秀な彼女(女性医師です)は、冷静に対応してくれることでしょう。
次の日、朝から陣痛促進剤を使い、陣痛を起こしました。
午後近くになって、陣痛が強まり、そろそろお産になりそうですと連絡がありました。
ボクは分娩室でこの方のお産に立ち会いました。
主治医であるそのドクターがお産の介助をし、ボクは分娩台の横から見守りました。
静かなお産です。
ほどなく、小さな赤ちゃんが卵膜に包まれたままで、お産になりました。
主治医の先生が卵膜をはさみで開き、赤ちゃんを見ると、
臍帯の過捻転がありました。
お腹の中で、胎児への血流が途絶えてしまったようです。
妊娠中期の子宮内胎児死亡の原因としては、
この臍帯過捻転がもっとも多いのです。
ボクは、御主人に説明し、
そして、頭を下げ、小さな赤ちゃんに手を合わせました。
「助けてあげられなくてごめんなさい。」
心の中で、赤ちゃんに話しました。
それに合わせて、御主人も、立ち会っていた若いドクターたちも、助産師も、
みんなが手を合わせてくれました。
お産を終えたお母さんも、静かに涙を流しています。
前にいた病院でも、やはり悲しいお産がありました。
そのたびごとに、
ボクはこうやって、手を合わせていました。
そして、前にいた病院では宗教的な背景もあったので、
お別れ会として、スタッフみんなが集まり、
赤ちゃんとお母さんのために祈るひとときがありました。
お別れ会では、亡くなった小さな命に対して、
そして、悲しみにくれるお母さんやお父さん、ご家族に対して、
ボクら医療者の思いや祈りを伝えることができました。
それでご家族が少しで癒されることができれば、と思いました。
もちろん、形ばかりの儀式のように見えることもあったかもしれません。
受け止め方はいろいろあるでしょう。
しかし、お別れ会では、
悲しいお産に立ち会ったボクらスタッフが、
自分たちの気持ちを素直に表すことができました。
医療者は、患者さんが泣いているときでも、一緒に泣くのではなくて、
医療者として、冷静にそれを受け止めなくてはいけません。
だからといって、悲しくないわけではないのです。
死、という悲しみに、
素直に涙を流すひとときがあることで、
その悲しみを、人として受け入れることができます。
「先生、お別れ会、どうしましょう?」
悲しいお産の後に、お母さんからそう聞かれたこともあります。
看護師さんがお別れ会をしますか?と尋ねたのです。
お別れ会は、宗教色がないわけでもないので、
患者さんの中にはお別れ会を病院で受けることそのものに
抵抗を感じる方もありました。
「もしよければ、ボクたちに、赤ちゃんのためにお別れをする時間を少しだけください。 ボクたちが気持ちを整理して前に進むためにです。」
ボクは、そういってお別れ会をお願いしました。
今回の、この悲しいお産を、
若いドクターたちと振り返りながら、
できればこの病院でもお別れ会をしたいんだと話しました。
そこには宗教的な背景はとくにいらないと思います。
「先生、それで、赤ちゃんに手を合わせていたんですね。」
納得しました、とばかりに研修医の先生がいいました。
ボクが分娩室で手を合わせたのに、すこし驚いたのだそうです。
ボクのとった行動がおかしい、というのではなくて、
これまでに、そうするドクターがいなかったというのが理由のようです。
たとえ、何かの理由で医療者として赤ちゃんに手を合わせることができなくても、
人として手を合わせて欲しいと思います。
「一番大切なことは、今日の、このお産と赤ちゃんのことを、ずっと覚えておくことや。 絶対忘れんといて欲しい。」
純粋な、この先生たちに、ボクの思いがしっかりと伝えることができたと思います。
私も今、心の中でその赤ちゃんを思い手を合わせました。
7ヶ月は命があったのですものね。お母さんのお腹の中で。
by nana (2012-01-24 08:57)
haru先生、今回のこと記事にして下さってありがとうございます。
(以前もコメントを記させていただいたことがあるのですが)
私も産科医療者で、自身の第1子を
誕生後すぐになくした経験があるものです。
現在、実はその経験後、7年ぶりで妊娠しております
(まだつわりがあるくらいの週数ですが^^;)
7年前に今回のお母さんの体験に近い産後ケアを
私もうけ本当に今でもその時のスタッフに感謝しています。
なので、私自身、トラウマなく今の現場に復帰出来ています。
その時の受けたケアの差で
傷つき、何年も何年もひきづり後悔している
お母さんにも時々お会いします。
haru先生のように
ひとりの人として自然にでてきた
ケアが当たり前に現場にあるといいですね。
by ぽぽん (2012-01-24 14:09)
私も実習中に悲しいお産、というものをしり、「産科は(自分の力では)無理(やっていかれない)」と思ったのを思い出します。
子どもが2人いますが、2人のほかにも流産して去って行った子どもたちもいます。母親としてつらいときにいる医療従事者。haruさんの人間としての行動に感服しています。
武田鉄也さんのラジオ番組で、「医者ってすごい」と自らの手術体験からお話しされていますが、「すごい」と本当に思います。
by ちばおハム (2012-01-25 06:09)
nanaさん、コメントありがとうございます。
ボクにとって、その日が初対面の産婦さんと赤ちゃんでしたが、お母さんと赤ちゃんとにはボクらがわからない長い「縁」があり、それは、これからもずっと続いていくと思います。
ボクらは医療者として、ほんの一瞬かかわっただけですが、命に心から敬意をもって接するべきだと考えています。
by haru (2012-01-30 12:43)
ぽぽんさん、コメントありがとうございます。
いろんな職場があり、そこでのいろんな作法があるので、
「前にいた病院でやっていたから」といって、すぐに押し付けるのはどうかと思います。
しかしながら、今回のことで、それぞれの病院での作法の違いはあっても、働いているスタッフの気持ちはそう変わらないということがわかりました。
素直に自分の気持ちを表現できる環境があることも、ボクたち医療者がつらい経験を乗り越え、前に向かって進んでいくために重要なのでしょう。
by haru (2012-01-30 12:49)
ちばおハムさん、コメントありがとうございます。
本当のプロフェッショナルは、同じような経験をしていなくてもそのつらさを十分に理解でき、それに対して冷静に対応できるものであると信じています。
しかしながら、「同じような」つらい経験をしている時の方が、その局面で、そのつらさをより理解できるものです。なかなか頭でわかっていても、経験がなければ、できないものであると痛感しています。
それが、人間の限界でもあり、人間の本当の生々しい優しさなのではないでしょうか?
優しさには、心の強さが伴わないと苦しいものです。
ボクたちの強さを補うものが癒しなのでしょう。
by haru (2012-01-30 12:59)
haru先生、ありがとうございます。
わたしも天使ママです。
こどもを見送らなくてはいけなかった親にとって
先生のようにしてくださったら
どれだけ救われることでしょう。
わたしはそうではなかったので、うらやましいくらいです。
先生が新しい場所で、こうしてつなげてくださったことを
感謝します。
どうか、このときの先生方からさらに広がりますように・・・
by のん (2012-02-23 14:25)
のんさん、コメントありがとうございます。
若い先生たちにうまく伝わることを信じて、毎日頑張っています。
助産師さんたちにも同じように伝わることを願っています。
by haru (2012-02-25 10:26)